歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

非琺瑯町名看板 埼玉県上尾市

埼玉県上尾市に現存する非琺瑯町名看板2枚である。

なぜ第1弾を埼玉県上尾市にしたかというと、昨日(2021年9月13日)、上尾市の旧町名探しをしている時に見つけたという、発見ほやほやだからである。
更に言うと、まだ他の自治体の非琺瑯町名看板の整理ができていないからである。錆びているものが多いので、町名の解読に時間がかかるからという言い訳でもある。

埼玉県民は知っていると思うが、上尾は、「うえお」ではなく「あげお」と読む。

上尾市には、琺瑯町名看板の存在が確認されていなかったので、非琺瑯町名看板も存在していないと勝手に思い込み、全然期待していなかったが、非琺瑯町名看板は存在していたのである。
もっとも隣接している旧大宮市(現さいたま市)には多数存在しているので、存在していても不思議ではないのかもしれない。

上尾市弁財1丁目2

広告主 誠文堂

f:id:citywalk2020:20210914093254j:plain

 

上尾市柏座3丁目5

町名部分が錆びて読めないが「柏座」である。

広告主 誠文堂

f:id:citywalk2020:20210914093245j:plain



 

 

非琺瑯町名看板

いくつかのブログで琺瑯処理されていない町名看板が取り上げられているのは見かけていた。

琺瑯町名看板」の陰に隠れているが、「非琺瑯町名看板」も自治体によっては、「琺瑯町名看板」より数多く存在していたり、「非琺瑯町名看板」しか存在していない自治体もある。(これは、「琺瑯町名看板」が発見されていないだけで、存在している可能性もあるので、断定はできない。)

「非琺瑯町名看板」も「琺瑯町名看板」と同様で、新しく製作されることはない、消滅していく一方である。

そんな、日陰者?の「非琺瑯町名看板」に光を与えたく、このブログでは、積極的に紹介していきたいと考えている。

「非琺瑯町名看板」には、左上部に「ここは」と記載のあるものとないものがあるが、あるものの方が多い。一方「琺瑯町名看板」には「ここは」の記載があるものはない。

また、「非琺瑯町名看板」の広告主は、何故か動物病院が多いのも特徴である。

琺瑯町名看板」には、寄贈と記載されているものが多いが、「非琺瑯町名看板」は記載されていない。

埼玉県旧大宮市(現埼玉県さいたま市)では、「鶴源」という会社が「琺瑯町名看板」と「非琺瑯町名看板」の両方の広告主になっている。どのように使い分けていたのか気になる。

というようにいろいろ疑問に思うこともあるが、調べても回答は出なさそうである。

「非琺瑯町名看板」は、残念なことに、琺瑯処理されていないため、劣化が激しいものが多い。しかし、このブログでは劣化して町名が読みにくくなっているものも、町名を何とか読み取って紹介していきたい。

 

ナンバーくん住所プレート 東京都港区

東京都港区に現存する「ナンバーくん住所プレート」8枚である。
8枚というのは、今のところ、港区が最多現存枚数ホルダーである。

 

①港区赤坂三丁目

発見日 2020年7月21日

広告主 銀座小松ストアー

現在、銀座小松ストアーはギンザ コマツになっている。

ここは「ナンバーくん住所プレート」と「琺瑯町名看板」、唯一ツーショットの写真が撮れる貴重な場所である。
こんな繁華街の中でいつまで残っていてくれるかとても心配である。

f:id:citywalk2020:20210913100200j:plain
f:id:citywalk2020:20210913100211j:plain

 

②港区三田四丁目

発見日 2020年8月25日

広告主 銀座小松ストアー

f:id:citywalk2020:20211216165510j:plain

 

③港区三田五丁目

発見日 2020年7月21日

広告主 銀座小松ストアー

f:id:citywalk2020:20210913100222j:plain

 

④港区六本木三丁目

発見日 2021年2月8日

広告主 銀座三越

f:id:citywalk2020:20211216165500j:plain

 

⑤港区六本木五丁目

発見日 2021年2月6日

広告主 銀座小松ストアー

f:id:citywalk2020:20211216165534j:plain

左下に電話番号らしき番号が落書きされている。

 

⑥港区新橋六丁目

発見日 2020年3月7日

広告主 銀座三越

f:id:citywalk2020:20211216165450j:plain

 

⑦港区東麻布一丁目

発見日 2021年2月4日

広告主 不明

f:id:citywalk2020:20211216165523j:plain

港区ではこれが一番錆がひどい、広告主は見えなくなってしまっている。

 

⑧港区芝西久保巴町(現港区虎ノ門三丁目)

発見日 2021年2月4日

広告主 銀座三越

f:id:citywalk2020:20211216165546j:plain

旧町名のナンバーくん住所プレートが残っているのは珍しい、住居表示実施が1977年と遅かったからだろう。

歴史

江戸時代
現在の虎ノ門の一帯は、ちょうど麻布の台地と愛宕山に挟まれた低地であることから、西久保と呼ばれていた。西久保地区の大部分は武家地・寺社地であった。

明治元年(1868年)
東京府成立に伴い、西久保地区は東京府の所属となる。

明治2年(1869年)
西久保地区に町域変更が実施され、西久保車坂町・西久保新下谷町・西久保天徳寺門前が合併して西久保巴町が成立。

明治11年1878年
芝区成立に伴い、西久保地区は東京府芝区の所属となる。

明治22年(1889年)5月1日
東京市成立に伴い、西久保地区は東京市芝区所属となる。

昭和22年(1947年)
芝区が赤坂区麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い西久保地区の町名に「芝」の冠称がつく。

昭和52年(1977年)9月1日
住居表示実施により芝西久保巴町の全部,芝西久保広町の一部,芝神谷町の一部から虎ノ門3丁目成立。

 

町名の由来
町形が巴型(曲玉型)をしていたためとする説と、3町合併により成立したことからで三つ巴の連想によったものとする説がある。

 

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の架空の町夕日町三丁目にもモデルはあって、それは現在の虎ノ門三丁目辺りだと公開前に山崎監督が話していたそうだ。当時の地名はこの「芝西久保巴町」であった。

ナンバーくん住所プレート 

上部に3桁の郵便番号とキャラクターの「ナンバーくん」、中央に町名、下部に広告がある縦長の錆びついた住所プレートを見たことがあるだろうか?(錆びついていないキレイな「ナンバーくん住所プレート」は見たことはない)
 
「ナンバーくん」とは?
顔郵便マーク(かおゆうびんマーク、〠)はかつて郵政省が郵便事業で使用していた記号。正式名称は不明である。
〠に手足が書かれたマスコットは「ナンバーくん」と呼ばれており、1968年に導入された郵便番号をPRするために採用されたキャラクターで、郵政省自身による公式な愛称であるが、手足のない通常の顔郵便マークは「ナンバーくん」とは別の扱いである。
1998年2 月2日に郵便番号7桁化にともなって新しいキャラクター「ポストン」が登場し、「ポストン」の普及に伴い、引退したようだ。
※「ナンバー君」と書かれていることも多いが、正式には「ナンバーくん」が正しいようである。

ナンバーくんの顔はコンピューターで使われる文字コードユニコード)として登録されている。コード番号は「3020」、「〠」で「POSTAL MARK FACE」とされている。
全角で「3020」と打って、F5キーを押すか、「郵便」と打って変換すると表示される。
 
関東陸運振興センターのマスコットキャラクターにも同じ名前があるが、引退しているから問題ないのだろうか?

今のところ、東京都内の一部の区でしか見つけることができていないが、紹介していこう。

琺瑯住所プレート 東京都国立市

東京都国立市に現存する琺瑯住所プレート2枚である。

 

これだけを見ると、自治体名が記載されていなく、更に西とか北とかどこにでもありそうな町名のため、どこの自治体名の物かわからない。国立市独自のもののため、勝手に「国立市タイプ」と名付けることにしよう。

さて、①と②に違いがあることに気が付いただろうか?

・①は「番地」と記載されているが、②は「番」だけである。

・①上下にネジ穴と左右に穴があり、設置方法を場所に応じて、選択できるようにしたのであろう。

一方②は、上下にネジ穴があるのみである。

・文字の種類が違う。

・②の方が少し劣化が進んでいて、①より古いバージョンのようである。

 

国立市西三丁目1番地

発見日 2020年10月6日

 

f:id:citywalk2020:20210913092338j:plain

 

国立市北二丁目13番

発見日 2020年9月14日

 

f:id:citywalk2020:20210913092328j:plain



住所プレートの世界へようこそ

住所を表示するものとして、街区表示板、街区符号板、町名表示板、町名板、住居番号表示版、住居番号板、住居番号プレート、住居表示プレート、住所表示板等と呼ばれているものがある。

設置当時、どのような名称で呼ばれていたのかわからないが、当ブログでは総称して住所プレートと呼び、昭和の時代から存在していると思われる古い住所プレート達を紹介していきたい。

増加する可能性もあるが、サブカテゴリーとして「琺瑯住所プレート」、「金属住所プレート」、「ナンバーくん住所プレート」の3種類に分類している。

琺瑯住所プレート」は旧町名のものが多いので、紹介されていることが多い。
「金属住所プレート」、「ナンバーくん住所プレート」も紹介されているが、どちらかというとマイナーである。
このブログでは、「琺瑯住所プレート」も当然紹介していくが、あまり脚光を浴びていないと思われる「金属住所プレート」、「ナンバーくん住所プレート」も積極的に紹介していく予定である。

※「町名看板」は住所プレートの一部として考えられるかもしれないが、「町名看板」という名称の方が一般的なので、カテゴリーを分けて紹介している。

※「街区表示板」も別カテゴリーとして考えているので、昭和の時代から存在しているものもあるが、このカテゴリーには含めていない。

 

 

 

旧町名 武蔵国足立郡中尾村 

発見日  2021年1月21日

発見場所 埼玉県さいたま市緑区中尾

武蔵国足立郡っていつの時代だ?
こんな表札が存在しているとは思いもよらなかった。
表札が本格的に普及したのは、大正時代、関東大震災以降とされているので、まさか表札で江戸時代を取り上げることになろうとは!

武蔵国が成立したのは7世紀、武蔵国足立郡が和名類聚に記載があったのが934年らしいが、江戸時代から歴史を振り返ってみよう。

元禄年間(1688年から1704年)
大谷口・井沼方・柳崎村とともに一村から分村され、武蔵国足立郡木崎領に中尾村が成立。

1871年明治4年)11月13日
第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。

1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編成法により成立した北足立郡に属す。

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に並行して大牧、中尾、大間木、井沼方、下山田新田、蓮見新田4箇村2新田が合併し、尾間木村が成立。尾間木村の大字中尾になる。

1940年(昭和15年)4月17日
尾間木村は同郡三室村とともに浦和市編入され、浦和市の大字となる。

2001年(平成13年)5月1日
浦和市与野市、大宮市と合併し、さいたま市となり、さいたま市の大字となる。

2003年(平成15年)4月1日

さいたま市政令指定都市に移行し、さいたま市緑区の大字になる。

 

それでは、見てもらおう。武蔵国足立郡中尾村の表札がこれだ。
(この表札についての考察は写真の下へ続く。)

f:id:citywalk2020:20210910182202j:plain

道沿いに長屋門が2軒続いて並んでおり、この表札は右側の長屋門の中央に設置されていた。(長屋門が2軒続いているのは珍しい。自分は初めて見た。)
この表札は新しく見えるので、当然近年に作られたものだと思う。
ということで、ストリートビューで確認してみたところ、2019年7月までの画像しかないが、まだ、設置されていなかった。ということはこれ以降に設置された可能性が高い。

確かに江戸時代から代々続いている由緒ある農家のように思うが、それにしても随分、時代をさかのぼったものだ。
材質は木だが、一位か、檜か、欅か、何の種類の木だろうか?
文字は浮き出ているように見え、「武蔵国足立郡中尾村」という文字だけで威厳を感じる。

なぜこの時代を表札にしようと思ったのか気になるところである。