東京都港区に現存する「ナンバーくん住所プレート」8枚である。
8枚というのは、今のところ、港区が最多現存枚数ホルダーである。
①港区赤坂三丁目
発見日 2020年7月21日
広告主 銀座小松ストアー
現在、銀座小松ストアーはギンザ コマツになっている。
ここは「ナンバーくん住所プレート」と「琺瑯町名看板」、唯一ツーショットの写真が撮れる貴重な場所である。
こんな繁華街の中でいつまで残っていてくれるかとても心配である。
②港区三田四丁目
発見日 2020年8月25日
広告主 銀座小松ストアー
③港区三田五丁目
発見日 2020年7月21日
広告主 銀座小松ストアー
④港区六本木三丁目
発見日 2021年2月8日
広告主 銀座三越
⑤港区六本木五丁目
発見日 2021年2月6日
広告主 銀座小松ストアー
左下に電話番号らしき番号が落書きされている。
⑥港区新橋六丁目
発見日 2020年3月7日
広告主 銀座三越
⑦港区東麻布一丁目
発見日 2021年2月4日
広告主 不明
港区ではこれが一番錆がひどい、広告主は見えなくなってしまっている。
⑧港区芝西久保巴町(現港区虎ノ門三丁目)
発見日 2021年2月4日
広告主 銀座三越
旧町名のナンバーくん住所プレートが残っているのは珍しい、住居表示実施が1977年と遅かったからだろう。
歴史
江戸時代
現在の虎ノ門の一帯は、ちょうど麻布の台地と愛宕山に挟まれた低地であることから、西久保と呼ばれていた。西久保地区の大部分は武家地・寺社地であった。
明治元年(1868年)
東京府成立に伴い、西久保地区は東京府の所属となる。
明治2年(1869年)
西久保地区に町域変更が実施され、西久保車坂町・西久保新下谷町・西久保天徳寺門前が合併して西久保巴町が成立。
明治11年(1878年)
芝区成立に伴い、西久保地区は東京府芝区の所属となる。
明治22年(1889年)5月1日
東京市成立に伴い、西久保地区は東京市芝区所属となる。
昭和22年(1947年)
芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い西久保地区の町名に「芝」の冠称がつく。
昭和52年(1977年)9月1日
住居表示実施により芝西久保巴町の全部,芝西久保広町の一部,芝神谷町の一部から虎ノ門3丁目成立。
町名の由来
町形が巴型(曲玉型)をしていたためとする説と、3町合併により成立したことからで三つ巴の連想によったものとする説がある。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の架空の町夕日町三丁目にもモデルはあって、それは現在の虎ノ門三丁目辺りだと公開前に山崎監督が話していたそうだ。当時の地名はこの「芝西久保巴町」であった。