歩・探・見・感

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旧町名 武蔵国足立郡中尾村 

発見日  2021年1月21日

発見場所 埼玉県さいたま市緑区中尾

武蔵国足立郡っていつの時代だ?
こんな表札が存在しているとは思いもよらなかった。
表札が本格的に普及したのは、大正時代、関東大震災以降とされているので、まさか表札で江戸時代を取り上げることになろうとは!

武蔵国が成立したのは7世紀、武蔵国足立郡が和名類聚に記載があったのが934年らしいが、江戸時代から歴史を振り返ってみよう。

元禄年間(1688年から1704年)
大谷口・井沼方・柳崎村とともに一村から分村され、武蔵国足立郡木崎領に中尾村が成立。

1871年明治4年)11月13日
第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。

1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編成法により成立した北足立郡に属す。

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に並行して大牧、中尾、大間木、井沼方、下山田新田、蓮見新田4箇村2新田が合併し、尾間木村が成立。尾間木村の大字中尾になる。

1940年(昭和15年)4月17日
尾間木村は同郡三室村とともに浦和市編入され、浦和市の大字となる。

2001年(平成13年)5月1日
浦和市与野市、大宮市と合併し、さいたま市となり、さいたま市の大字となる。

2003年(平成15年)4月1日

さいたま市政令指定都市に移行し、さいたま市緑区の大字になる。

 

それでは、見てもらおう。武蔵国足立郡中尾村の表札がこれだ。
(この表札についての考察は写真の下へ続く。)

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道沿いに長屋門が2軒続いて並んでおり、この表札は右側の長屋門の中央に設置されていた。(長屋門が2軒続いているのは珍しい。自分は初めて見た。)
この表札は新しく見えるので、当然近年に作られたものだと思う。
ということで、ストリートビューで確認してみたところ、2019年7月までの画像しかないが、まだ、設置されていなかった。ということはこれ以降に設置された可能性が高い。

確かに江戸時代から代々続いている由緒ある農家のように思うが、それにしても随分、時代をさかのぼったものだ。
材質は木だが、一位か、檜か、欅か、何の種類の木だろうか?
文字は浮き出ているように見え、「武蔵国足立郡中尾村」という文字だけで威厳を感じる。

なぜこの時代を表札にしようと思ったのか気になるところである。