歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 東京府南葛飾郡葛西村大字長嶌

発見日 2021年9月20日

この地名を見ただけで、現在のどこの区かわかるだろうか?

南葛飾郡だから、葛飾区?
葛西があるから、江戸川区

正解は江戸川区だ。(そんなの常識だという声が聞こえそうだが・・・)

まず、表札が設置されている「東善寺」の全景を見ていただこう。

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寺名と住所が書かれている表札がどこにあるかわかるだろうか?

その通りだ、右側の門柱の上部に設置されている。

左側の門柱にも、「東京府」と読み取れる文字が刻まれているようなのだが、その後の文字が読み取れない。ここでの主役は、表札なので、割愛する。

表札だけ拡大したものがこれだ。

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東京府南葛飾郡葛西村」はいつの時代に成立したのだろうか?

いつもお世話になっているWikipediaさんで調べればいいのだが、「東善寺」の隣に「香取神社」が鎮座しており、その境内に「長島之碑」が設置されてた。

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長島の碑

東京都議会議員 宇田川芳雄

長島の地は古くは太日河ふとひかわ(現江戸川)河口にあたり、国府の湊(又は長島の湊)として、賑わって居り足利時代に戦略地点として北条方の勇将太田新六郎康資がこの地を支配していたと言う。また、この長島の地に当時長島高城があり現在に至るも小字として表門、裏門、馬場、宿、堂屋敷等(現清光寺附近)が伝承されている。なお、江戸時代は武蔵国長島村と言われていた。
また、明治に入り長島の地は半農半漁として盛んになり、特に葛西のり養殖及び蓮根作り等は有名であった。明治4年廃藩置県となり幾度かの改正を経て 明治11年11月2日東京府南葛飾郡葛西村大字長島となる。昭和7年10月1日市郡併合により大字、小字が廃止され、東京市江戸川区東長島町となり、昭和9年5月1日長島町となる。
昭和18年7月1日東京都制施行により、東京都江戸川区長島町となる。昭和54年11月1日~昭和56年11月1日の3ヶ年の間に葛西地区全般が現在の住居表示となる。
江戸川区史及び東京ふる里文庫史料より)
昔より親しまれてきた長島の町名がなくなるのを惜しみ、ここに長島の碑を建立す。

昭和59年1月吉日

 

「長島之碑」に歴史が記載されていたので、抜粋したのが以下となる。

江戸時代は武蔵国長島村と言われていた。
明治4年1871年
廃藩置県となり幾度かの改正を経て 明治11年1878年)11月2日東京府南葛飾郡葛西村大字長島となる。
昭和7年(1932年)10月1日
市郡併合により大字、小字が廃止され、東京市江戸川区東長島町となり、
昭和9年(1934年)5月1日長島町となる。
昭和18年(1943年)7月1日
東京都制施行により、東京都江戸川区長島町となる。
昭和54年(1979年)11月1日~昭和56年(1981年)11月1日
三ヵ年の間に葛西地区全般が現在の住居表示となる。
ということは、この表札は明治11年1878年)から昭和7年(1932年)の間に製作されたことになり、少なくとも90年以上経過していることになる。
ただ、気になるのが、文字が鮮やかすぎるのと、「東善寺」の「東」の字が住所の「第」の字に上に重なっていることである。後年、薄くなった字を書き直したのかなもしれないが。
このように、寺院の表札に旧町名を発見することも、多くはないがあり、旧町名探索対象としてはずせないもののひとつだ。
東京都は、かつて東京府時代(1898年~1943年)があった。貴重な東京府時代の旧地名もまだ、いくつか残っている。これらも、徐々に紹介していこう。