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町会会員プレート 寶木塚町會員

発見日 2021年8月24日

「寶木塚町會員」の「寶」は「宝」の、「會」は「会」の旧字体で、「寶木塚町」は「ほうきづかちょう」と読む。

「寶木塚町」は「本田寶木塚町」が正式町名で、町会名としては、長いので、略されていたのだろうか?

「本田寶木塚町」の「本田」は「ほんだ」と読んでしまうが、「ほんでん」である。

現在は「葛飾区宝町」だが、歴史を振り返ってみよう。

1932年(昭和7年
明治までの宝木塚(ほうきづか)村の一部が、葛飾区本田宝木塚町と改称した

1961年(昭和36年
住居表示変更で『宝木塚』の『宝』を残して宝町となった。

ということなので、この町会会員プレートは、少なくとも60年以上前から存在していることになる。

旧字体の「寶」のほうがありがたみがあるような感じがする。
腐食しているのが残念だが、もっと状態のいいものが残っているだろうか?

余談だが、玩具メーカーの「タカラトミー」の社名の「タカラ」は、創業地「葛飾区本田宝木塚町」に由来しているそうだ。

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葛飾区のホームページの「子ども葛飾区史」では、地名の由来は以下のように記述されている。

「江戸時代のはじめ頃からある地名で、1965(昭和40)年までは、「本田宝木塚町」という地名がありました。現在の宝町・四つ木・お花茶屋の一部にあたります。

 なぜこのような地名になったのかはっきりとはわかっていませんが、昔、西光寺(宝町二丁目)に宝木塚と言う塚があったためという説があります。この塚は、親鸞という有名な僧が西光寺の松に衣服をかけてこれを法喜塚と名付け、やがてそれが宝木塚となったと言われています。また、この辺り一帯を治めていた「葛西“伯耆”守(ほうきのかみ)清親」と名乗る武士が居て、西光寺にこの武士の墓があったためという説もあります。」

この松の木は、天明6年(1786)に大風雨のため倒れてしまい、現在は3代目の松の木が植えられているようだ。