歩・探・見・感

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琺瑯町名看板 江戸川区逆井2-255

昨日(2021年10月2日)は10月というのに暑い日だった。最高気温は30.1℃と真夏日になったようだ。一昨日は台風の影響もあり最高気温が20.9℃と体調がおかしくなりそうな気温差だ。
小岩駅を降り、興之宮町、本一色町の旧町名を収集、西小岩にある古い建物を久しぶりに再訪、無事を確認し、新小松川橋(荒川渡河区間529.1メートルと結構長い)を渡り、逆井の旧町名を収集、電力プレート発見、琺瑯町名看板の現存を確認し、平井駅から帰途。
自宅から駅への往復も含むが、37,364歩、25,033m歩いたことになる。これはスギサポwalkの記録だが、コバトン健康マイレージでは35,415歩と約2,000歩も少ない。何故だ?
(スギサポwalkはスギ薬局コバトン健康マイレージは埼玉県がそれぞれ提供しているウォーキングアプリのことである。)

さて本題の琺瑯町名看板である。最初に訪問したのは、2020年8月24日で、今回は現存を確認してきた。

ところで「逆井」は何と読むかご存じだろうか?
「逆井」の表札を見つけた時、「ぎゃくい」だったか「さかい」だったか、読み方を忘れてしまっていた。
どちらでもなかった。「逆井」の琺瑯町名看板を再訪する前に発見した電力プレートを見て思い出した。
そう「さかさい」だった。すっかり忘れていた。

よく見る「お知らせ」の看板が設置されていた。
この看板をあちこちで見かけるが、そして、いつも思う。
今後、人口が減少し、当然自動車の保有台数も減少する時代が来るというのに、道路の拡張が本当に必要なのだろうか?
道路の拡張は、建物を中心に昭和遺産が消滅していく大きな要因の一つだと思っている。
琺瑯町名看板があるはずの家屋の前の道路は東京都市計画道路事業によって、ほとんど用地が取得されており、道路用地になっていた。

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琺瑯町名看板が設置されている家屋は、残っているのだろうか?
不安な思いをしながら歩いていると、見覚えがある植木が伸び放題の家屋があった。どうやら家屋は無事なことはわかった。
さて琺瑯町名看板はどこにあるのか?
道路からだとよくわからない、以前より植木が成長している感じだ。
でも、よく見ると中央やや右の方に琺瑯町名看板が一部だが見えているのがわかった。
よかった、無事だった。

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それがこの琺瑯町名看板である。

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逆井の町名はどのような歴史をたどってきたのだろうか?

昭和7年(1932年)10月1日
江戸川区は、従前の南葛飾郡、小岩町、小松川町、松江町、瑞江村、鹿本村、篠崎村、葛西村の3町4村の区域をもって成立した(当時は東京市の区であった)。
この時、小松川町大字逆井から「逆井1丁目」、「逆井2丁目」が誕生。

昭和47年(1972年)
「逆井1丁目」、「逆井2丁目」の大部分は住居表示実施で平井に町名変更。

昭和63年(1988年)
逆井1丁目のごく一部(中川新橋付近)のみ存続(同年小松川3丁目に編入)。

地名の由来は、低地帯で、水がさかのぼるような所から逆井という地名になったと言われている。

「逆井」の"逆"が縁起が悪いということで"平"にしようとなり「平井」と呼ばれるようになったという説がある。

発見場所 東京都江戸川区平井2丁目