歩・探・見・感

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街区表示板 足立区伊興町前沼

本日(2021年10月8日)「伊興」を検索していたら、驚いた。
昨日(2021年10月7日)22時41分頃、埼玉県と東京都で最大震度5強を観測する地震があった。訪問した東京都足立区伊興が、東京都内唯一その震度5強だったようである。
足立区では日暮里・舎人ライナーの脱線、水道管破裂など被害が出ているようだ。
埼玉県と東京23区で震度5強以上の揺れを観測したのは2011年3月11日に東日本大震災を引き起こしたマグニチュード9.0の巨大地震以来とのことで、久しぶりに大きい地震だったので、肝を冷やした。

さてここからは昨日訪問したこととなる。
足立区にかつて存在していた「伊興町」に小字名を付した旧町名を探索するために竹ノ塚駅を降り立った。
歩き始めて、数分もしないうちに「前沼」を見つけることができた。こんなすんなり見つかったのは初めてかもしれない。その後も何件か見つけることができたが、だんだんともういいやとなり、撮るのをやめてしまった。
その後「本町」、「見通」、「大境」、更に「東伊興町」、「西伊興町」も見つけることができた。
ここまでは順調すぎるほど順調だった。しかし、この後は、見つからず、だんだん疲れてきて探索能力の限界が近づいてきたのと、最近は暗くなるのが早い、更に小雨も降ってきたので、切り上げることにした。

 

やっとここから発見した街区表示板の記事となる。

「伊興」は何と読むかご存じだろうか?
以前紹介した「興野」は「おきの」だったから、「いおき」か?、それとも「いこし」か?
そんな風に読む人はいないだろう。
たぶん誰が読んでも「いこう」だ。
自分が最初見た時は何と読んだか・・・忘れてしまった。

 

発見日  2021年10月7日

発見場所 東京都足立区西竹の塚2丁目

消滅年  1999年(平成11年)

消滅年が1999年ということで旧町名の表札残存率が高いのだろう。

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上部にスペースが開いていて、広告主が記載されていたと思われるのだが、目を凝らしても見えない。
今まで見てきた広告付きの街区表示板は下部に広告主が掲載されていたが、このように上部に広告主が記載されている(見えないが)街区表示板は珍しい。というかたぶん初めてだ。

「伊興町前沼」の「前沼」は小字というもので、以前は前沼を含めて16存在していた。この小字は23区内でこの伊興町のみが戦後、平成まで存在していたが、平成11年に完全に消滅してしまった。

前沼の地名の由来は探したが見つからなかったので、ここでは伊興の沿革をたどってみる。
伊興は、足立の町の中で、もっとも古く文献に登場する地名でもある。鎌倉幕府が出した古文書の中に「伊古宇」という名前の御家人に盗賊を追討するよう命じたものがある。時に1256年(康元元年)であった。これ以上古い足立の町の名前は知られていない。
その後も伊興の名前は室町時代、江戸時代と連綿と受け継がれ、現代に至っている。実に7世紀半に及ぶ古名である。

1889年(明治22年
市制町村制が施行され、東京市が成立。伊興村南足立郡淵江村の大字となった。

1891年(明治24年
南足立淵江村の大字伊興が分離し、再度、伊興村となった

1932年(昭和7年
足立区が成立すると伊興町谷下・伊興町聖堂・伊興町五庵・伊興町狭間・伊興町白幡・伊興町前沼・伊興町見通・伊興町大境・伊興町諏訪木・伊興町五反田・伊興町本町・伊興町吉浜・伊興町一丁目・伊興町番田・伊興町京伝・伊興町槐戸の16町に分かれ戦後に至る。

1987年(昭和62年)
伊興町本町・伊興町大境・伊興町見通・伊興町諏訪木と西伊興町の各一部をあわせた町域を現行の「伊興」とした。