歩・探・見・感

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町会会員プレート 亀有六丁目西自治会員

この日(2021年10月9日)の目的は、次の記事に書く予定で、葛飾区にあるのではないのだが、久しぶりに亀有を訪問したので、探索方面でもあるし、亀有駅の北口周辺を少し歩いてみるたところ、次のような自治会員プレートを発見した。

発見日  2021年10月9日

発見場所 葛飾区亀有5丁目

亀有町と書かれていないが、亀有町時代の結構レアなものかもしれない。
というのは、現町名の亀有は1丁目から5丁目までで、6丁目はないからである。

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亀有の沿革を調べてみると、以下のようになっている。

1889年(明治22年
市制・町村制施行により、亀有村(飛地を除く)、青戸村、砂原村(飛地を除く)の3村と上千葉村飛地が合併して、亀青村が成立。

1932年(昭和7年
東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。
奥戸町、本田町、南綾瀬町、亀青村、金町、新宿町、水元村の5町2村の区域をもって葛飾区が新設された。
亀青村亀有より亀有町1〜5丁目が成立した。

1941年(昭和16年
亀有町5丁目から分離して亀有町6丁目が成立した。

1943年(昭和18年
東京府東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。

1967年(昭和42年)
亀有町1〜6丁目より亀有1〜5、お花茶屋1〜3、西亀有1・3、白鳥2・3、青戸8が成立し、亀有町は消滅した。

ということなので、あくまでも個人的な見解であるが、この自治会員プレートは、亀有5丁目に存在していた上に、琺瑯加工されているし、錆具合からしても、亀有町時代のもので、1967年以前に製作された可能性があるのではないかと思っている。

地名の由来(葛飾区郷土と天文の博物館ブログより)
令和2年1月17日(金曜日)放送のテレビ東京『所さんのそこんトコロSP』の"駅名の由来を大調査"のコーナーで、「亀有」の名前の由来が紹介されました。(当博物館もチラッと登場しました)
短くまとめると、
"一帯が田んぼで低湿地帯だったこの地域は、秋になるとお米-藁(わら)をかけて干していて、その光景が亀の甲羅の凹凸に似ていた。そこから亀はいないが亀を成していたので「亀無」に。しかし「無し」は縁起が悪いので、「亀梨」を経て、「亀有」になった。※諸説あります"
との紹介でした。

記録に残る最初の地名が「亀無」→無しは縁起が悪いので「亀梨」を経て→現在の「亀有」になったんですね。

地誌類を参照すると、梨の実をありの実と言い換えることもあったことから、「亀梨」を「かめなし」ではなく「かめあり」と読んでいた可能性も否定できません。しかし当時どのように読んでいたかは現在までわかっていません。

また、地形分類図を参照すると隆起砂州(さす)と言って、現在の亀有駅の北側一帯が微高地だったことが伺えます。この微高地が亀の甲羅の様な形をしていたことを由来とする説や、低湿地帯でたくさん亀が生息していたことを由来とする説も存在しています。