この日(2021年10月9日)の目的は、足立区の陸の孤島とも呼ばれているらしい佐野、大谷田、加平、北加平町、神明南、神明方面の探索だった。
地図でいうと亀有駅と綾瀬駅から見て一番上が八潮市、右が中川、左が環七と綾瀬川に囲まれている地域である。
この辺りは旧町名がいくつかありながら、大谷田町や辰沼町など発見されていないと思われるものもあり、探索したこともなかったので、発見されていないということは、旧町名は消滅してしまっているかもしれないと思ったが、町名看板や電力プレート等を発見できるかもしれないと思い、無謀にも探索を試みた。
先に結果を言ってしまうが、旧町名はいくつか発見することはできたが、町名看板と電力プレートは発見することはできなかった。残念。
亀有駅を降り、少し探索したことは前の記事「町会会員プレート 亀有六丁目西自治会員」で書いた。
亀有を後にし、(地図上の)右側から攻めてみようと思い、「中川」から探索を開始した。
しばらく歩いていると、少し奥まったところに古い門柱があり、そこに表札が見えた。通ったところに何か作業をしている人がいて、気にはなったが、はやる気持ちが抑えられない。
もしかしたら、旧町名のものかもしれない。
近くへ寄って、目を凝らしてみると、何と「東京市足立區長門町」の表札だった!
何度でも言うが「東京市」である。
新発見、大発見かと思い喜ぶが、そうではなかったのである。
作成していた足立区旧町名探索リストを取り出して見てみると、一番先頭に載っていた。そう探索予定対象のものだったのである。
だが、事前調査では、どこにあるかわからなく、見つける予定で中川を探索したわけではなかったので、偶然とはいえよく見つけたものである。
目撃情報だけで、どこにあるかもわからずに見つけた自分を褒めてあげたい。
いや、ここで甘やかしてはいけない。
見つかったからいいものだが、探索リストに現町名を中川と書いておきながら、今回の探索の対象としていなかった自分はどうかと思う。何のために探索リストを作成したのか、何故、事前に探索リストを確認しておかなかったのかと自分に言いたい。
発見日 2021年10月9日
発見場所 東京都足立区中川3丁目
表札にひびがはいっていて、「門町」の文字部分が欠けてしまっているのが残念だ。
沿革
1889年(明治22年)
町村制施行によって、大谷田村、佐野新田、長右衛門新田、蒲原村、北三谷村、普賢寺村の六力村が合併し、東淵江村が誕生した。
1932年(昭和7年)
東淵江村は、「東京市足立区」が誕生すると同時に解消され、大谷田町、普賢寺町、佐野町、北三谷町、長門町、蒲原町の六町が誕生した。
長右衛門新田はその呼び名を改め、”長”と”門”をとって長門町とされた。
1965年(昭和40年)
長門町が消滅し、中川1〜3、大谷田3・4が誕生
地名の由来
江戸時代の中川地域の開拓者である浅田長右衛門新田の「長」と「門」からとって付けた地名である。