歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 板橋區練馬南町

今日の東京の最高気温は29.3℃だった。10月なのに、どうなっているんだ。今日も日傘が大活躍だった。

しばらく足立区が続いたので、今日(2021年10月11日)は、練馬区に残る旧板橋区の痕跡を探しに練馬区を久しぶりに訪問してきた。

浦和で湘南新宿ラインに乗り換えて池袋に行く予定だったが、間違えて、上野東京ラインに乗ってしまった。
気が付いたのは、赤羽を過ぎ、尾久手前の車内アナウンスがあってからだ。
何やってんだ・・・。
尾久に着く前、下り電車が発車するのが見えたので、しばらく来ないのかと思った。
尾久で降りて、次の下り電車が来るまで、後悔の念に駆られながら、ベンチに座って待っていた。
幸い、それほど待たずに電車が来た。赤羽に戻り、埼京線で池袋まで行き、西武池袋線に乗り換えて桜台へ。
結果10分弱のロスタイムで済んだ。

桜台2丁目にあることは分かっていたので、いつものようにローラー作戦で、2丁目にある道すべて探すつもりだ。
しばらく探していると見つかった!と思って写真を撮り、少し離れた所で、確認したところ、練馬区南町だった。違う、これではない。ぬか喜びだった。
またしばらく探してみると、探していたものがやっと見つかった!今度は本物だ!

 

発見日  2021年10月11日

発見場所 東京都練馬区桜台2丁目

f:id:citywalk2020:20211011193807j:plain

わかっていても、練馬区内で板橋区が見つかるのは違和感がある。

住所は氏名の右側に記載されていることが多いが、これは珍しく、左側に記載されている。

沿革

1928年(昭和3年
下練馬村は町制施行して練馬町となった。

1932年(昭和7年)10月1日
北豊島郡板橋町、上板橋村、志村、赤塚村、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村大泉の2町7村の区域をもって板橋区が成立。
東京市板橋區練馬南町1~5丁目

1943年(昭和18年)7月1日
東京府東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。
東京都板橋區練馬南町1~5丁目

1947年(昭和22年)3月15日
35区は22区に再編される。

1947年(昭和22年)8月1日
板橋区から、旧練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村が分離独立。練馬区が成立。
東京都練馬区練馬南町1~5丁目

1949年(昭和24年)
「練馬」の冠称を廃し、東京都練馬区南町1~5丁目となる。

1962年(昭和37年)
地番整理により桜台1~3丁目、羽沢1~3丁目、栄町成立

1963年(昭和38年)
住居表示実施により廃止。桜台4~6丁目、練馬1~4丁目

ちなみに1963年の住居表示実施で消滅したが、1963年は都内初の住居表示実施であり、それにより初めて消えた町名だ。

かつては練馬南町の仲間に練馬仲町、練馬北町という町名があった。練馬区独立から2年後に「練馬」の冠称が取れてそれぞれ南町、仲町、北町という町名になった。しかし、住居表示実施により南町と仲町とは消えてしまい、北町だけが残っている。何故だ?

この後、「板橋區練馬町貫井」探索をしたのだが、その苦闘の記事はまだ後程。

帰りは、富士見台から西武線に乗る。3駅分歩いたことになる。
この日の総歩数は、35,100歩、23,517mとなった。
池袋から17時台の湘南新宿ラインに乗ったのだが、帰りの通勤客で満員だった。
この日は暑かったので、リュックの臭いが気になった。後ろにいた若者が、マスク越しに鼻を押さえていたような気がする。もし、迷惑をかけていたら、申し訳ない。