歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 板橋區練馬貫井町

気が付いたら投稿した記事が100を超えていた。100記事投稿記念にとっておきの題材を探して投稿しようと考えていたのだが、何にしようかと思っているうちに投稿が100記事になったことに気が付かず、こういうことになってしまった。
過去の通過点ということで、記念式典は開催せず、このままいこう。
ちなみにこの記事で104記事目になる。

前回に続いて練馬区に現存する旧板橋区の痕跡である。

板橋區練馬南町を後にして、板橋區練馬貫井町を訪問するまでの間、気の向くまま、当てもなく歩いてみた。金属住所プレートや今は無き旧町名「仲町」の表札を見つけたりと多少の収穫はあった。

途中、旧豊島園の跡地に建設中の「Harry Potter」の看板があったので、撮っておいた。子供が小さいとき、豊島園に行ったなとか、よく一緒に「Harry Potter」の映画を見に行ったなと、しばし感傷に浸る。

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こんなことで、貫井に着いたのは予定よりかなり遅くなってしまった。
またローラー作戦の開始である。貫井3丁目の道という道を全部探すのだ、と勢い込むが、55番地まであった。これは難敵であることに気づく。
でも探すしかないので、探索開始。
旧町名「練馬区貫井町」はいくつか見つけることができたので、この辺にありそうだと思ったが、肝心の「板橋區練馬貫井町」が中々見つからない。
少し駅から離れていたところを探していたが、帰る予定の時間も迫ってきたので、まだ周辺を全部探し切れていなかったが、駅方面を探索することにした。
今日は見つからないかな、リベンジ訪問になるかなと弱気になりながら、疲れてきたせいもあり、足取りも重かった。

駅周辺を探索していたら、一方通行の道に出た。
歩道から少し離れた所に古い門柱が見えた。
遠目だったが、右書きの板橋區の文字が見えた。

発見日  2021年10月11日

発見場所 東京都練馬区貫井3丁目

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門柱は道路から離れた所にあり、アプローチへの道は鉄製の門で閉められており、近づくことができなかった。
スマホのカメラで撮ったのだが、これが限界だった。
折角の旧板橋区の遺構なのに残念である。
ネットで他の方が撮った写真を見たが、鮮明なものばかりだった。近くまで行けたのか、それとも性能がいいカメラで撮ったのか、どちらにしてもうらやましい。

これでも、読めなくはないかと思ったが、パソコンの画像加工ソフトで表札の部分だけ拡大してみたのが下の写真である。

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どうだろう?
ボケボケであるが、文字は大きくなった。

沿革
1932年(昭和7年
板橋区成立のとき練馬貫井町となった。

1947年(昭和22年)
練馬区独立後、練馬の冠称をとって貫井町となった。

1965年(昭和40年)
住居表示が実施され現町名となった。

地名の由来
弘法大師がこの地を訪れたとき、人々は水不足に苦しんでいた。弘法大師は村人のために、手にした杖で地面を突いたところ、水が湧き出た。「井」を「貫いて」くれたという話から、貫井となった。
温井とも書く。地名の由来は湧水が地盤を通して抜き通っている意の「抜井」、あるいは湧泉の水温が特に高いことの意の「温井」等諸説がある。