歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

街区表示板 葛飾区奥戸新町二0番地一

昨日(2021年10月16日)は、家を出た時は雨が降っていたが、金町駅に着いた時は止んでいた。曇りで、暑くもなく(最高気温23.2℃)探索日和の1日だった。

以前、金町駅の北口から旧町名水元シリーズを探索したことがあった。まだ見つからない旧町名もあるが、それは後回しにして、今回は南口から探索することにした。
旧町名である新宿(にいじゅく)町、鎌倉町、細田町、奥戸新町を見つける予定だ。
結果から言うと、新宿町は以前見つけたもの以外は見つからず、鎌倉町と細田町の表札は見つかり、奥戸新町の表札は見つからなかったが、意外なものが見つかった。

奥戸は地図を見ると新中川の対岸に1丁目から8丁目まであることがわかった。対岸側の方が圧倒的に範囲が広いので、そちら側にある可能性が高い。
しかし、今回そちらを探す予定を立てていなかったので、9丁目に絞って探すしかなかった。
いつものようにローラー作戦を開始する。途中「奥戸ローズガーデン」があったので、バラをしばし鑑賞。結構写真を撮ったが、2種類だけ紹介しよう。
たまには、探索対象から離れて花などを紹介するものいいかもしれない。
ただ、写真の腕は問わないでいただきたい。単なる素人がスマホで撮った写真である。

この2種類のバラは、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を記念して植えられたそうだ。

★オリンピックファイヤー

オリンピックの聖火の炎を想わせるような鮮やかな朱紅色のバラ。

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★聖火

白地に濃いローズ色の覆輪が、開花するにつれ全体に燃えるように赤みが増す。

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このガーデンの秋バラの見頃は、10月中旬~11月上旬とされているので、時間がある方は訪れてはいかがだろうか。

さて、そろそろ本題の街区表示板となる。

発見日  2021年10月16日

発見場所 葛飾区奥戸9丁目

ローラー作戦も最終段階となった。
見つからない。やはり、対岸の1丁目から8丁目にあるのか?
その時だった。
低い駐車場のブロック塀にこれが設置されていた。

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このようなタイプの街区表示板は、初めて見た。

沿革を調べてみた。
江戸時代初期、奥戸は「奥戸新田」を分村し、「奥戸村」と「奥戸新田」となる。分村の時期は、寛永6年(1629)の八剱神社棟札に「下総国葛西庄奥戸新田」、寛永18年(1641)の天祖神社棟札に「武州葛西奥戸村」とあることから、寛永年間初期(1620年代)までには、奥戸村と奥戸新田に分村したと考えられる。

明治22年(1889年)
市制・町村制施行により上小松村、下小松村、奥戸村、奥戸新田、曲金村、細田村、鎌倉新田の7村と新宿町飛地、上一色村(現・江戸川区)飛地が合併して奥戸村となる。
新たな奥戸村では、旧両村域は奥戸村大字奥戸・奥戸村大字奥戸新田となった。 

昭和5年(1930年)
奥戸村は町制施行して奥戸町となる。

昭和7年(1932年)10月1日
奥戸町、本田町、南綾瀬町、亀青村、金町、新宿町、水元村の5町2村の区域をもって葛飾区が新設された。
大字奥戸は「奥戸本町」、大字奥戸新田は「奥戸新町」及び細田町の一部となった。 

昭和47年(1972年)
住居表示により奥戸新町から高砂1、新小岩4、東新小岩2、奥戸2・4〜9、細田1 が成立。

「旧」と記載されているから、「奥戸本町」時代に設置されたのではなく、昭和47年以降に設置されたものだろうか?
高砂1、新小岩4、東新小岩2、奥戸2・4〜8、細田1を探索すれば、同様のものが見つかる可能性がある。機会があったら、探索チャレンジしてみたい。

奥戸の地名の由来
町域西端には古くより中川が流れており、船による河川を利用した水運が発達していたことから、「奥津」となっていたものが転訛して「奥戸」になったと考えられている。

村内の小字
奥戸新田「南耕地/五段田/潮入/榎井戸/六段耕地/北沼」
(新編武蔵風土記稿、江戸時代後期)

奥戸新田「榎/東耕地/横耕地/六段/五段/亀田/上沼/北沼/大道/会野/中道/
 五町/下耕地/社門/小真/落耕地/上入/下入/堤外」
(皇国地誌稿本 東京府誌、明治時代初期)

この日の総歩数37,857歩 距離25,364m
コバトン健康マイレージ 昨日の歩数ランキング 104位/19,118 37,704歩