歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 巣鴨町

最近は、練馬区や足立区や葛飾区といった自宅から離れた所を多く取材していたが、ネットで調べていたところ、豊島区や新宿区など自宅から比較的近いところにも取材漏れが結構あることに気づいた。

そこで今日(2021年10月18日)は、久しぶりに豊島区を訪問することにした。
そのきっかけは、ネットで調べていた「巣鴨町」の存在である。
現存場所を特定できたので、どうしても確認したかったのである。
合わせて他に「堀之内町」、「西巣鴨」、「池袋東」、「日ノ出町」もできれば確認しようと思っていた。

今回が「板橋区」の記事、初投稿となる。

今日の東京の最高気温は18.8℃、最低気温は9.2℃だったようだ。
昨日も寒かったし、先週の夏みたいな暑さが嘘のようだ。
秋を通り越して、いきなり冬になった感じである。
男だが、冷え性なので、冬は苦手である。

板橋駅を降り、探している「堀之内町」は上池袋2丁目にあることが分かっていたので、いつものようにローラー作成を開始するが、上池袋を探索するのは、初めてで、細い路地や住宅密集地域があることは前提知識にはなかったため、あちこち歩き回ってしまい、全部回りきれたのかわからなくなってしまった。
随分歩いたのに、結局見つけることはできなく、探索予定時間オーバーで次の取材対象の「巣鴨町」へ向かうことにした。

ちょっと道を間違えて、「滝野川銀座通り」に出てしまった。ここでは、久しぶりに銅板葺き看板建築や出桁造りの建物との再会を果たし、無事を喜ぶことができた。結果オーライである。

ようやく、「巣鴨町」へたどり着いた。

発見日  2021年10月18日

発見場所 東京都豊島区巣鴨4丁目

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これは豊島区の発足前、東京府北豊島郡時代の町名で、とても貴重なものである。
「巣」の旧字体「巢」が使用されている。
「區○○」と區の右書きバージョンはよく見かけるが、「町鴨巢」と町で右書きの表札は初めて見た。

過去、同じ東京府北豊島郡時代の町名「西巣鴨町」の目撃情報もあったが、今も現存しているのだろうか?

沿革
1878年明治11年)11月
大区小区制が廃され、郡区町村編制法が施行され、北豊島郡が設置される。なお、巣鴨町一丁目から四丁目と巣鴨仲町巣鴨原町、巣鴨駕籠町、小石川大塚辻町は小石川区編入される。

1878年明治11年)7月22日
郡区町村編制法により巣鴨一 - 四丁目(旧巣鴨町)、巣鴨仲町巣鴨原町、巣鴨駕籠町、小石川大塚辻町が小石川区(現在の文京区)に編入される。

1889年(明治22年)4月1日
市制・町村制が施行され、東京府北豊島郡巣鴨町巣鴨村が発足。

1918年(大正7年)7月20日
巣鴨村が町制を施行し西巣鴨町と改称。

1932年(昭和7年)10月1日
巣鴨町・西巣鴨町共に東京市編入され、高田町・長崎町と共に豊島区の一部となる。

1943年7月1日
東京都制施行により東京都豊島区となる。

消滅年は1932年ということになるので、約90年前から存在していることになる。

地名の由来
巣鴨の地名については、川や池があってカモが多く巣を作っていたから、というふうに言われている。江戸時代以前であればカモの巣はあちこちにごく普通にあったと思われるから、それが地名の由来になるとは思えない。
しかも、巣鴨はどちらかというと高台の地形のため、現在の巣鴨駅周辺には川や池はない。古地図によれば、巣鴨には谷田川という川が流れていたことがわかっている。しかし、巣鴨はこの川の源流付近のため、水量も多くはなかったと想像され、野生のカモが巣をつくっていたとは想像しにくい。
古い文献には「菅面」の文宇があり、鳥類の「カモ」とは関係のない地名だったことも考えられる。「菅面」であれば、一面にスゲ(水辺に生える植物)が生い茂った湿地、ということになる。巣鴨の地名は「菅」の生える湿地、ということが語源だったのかもしれない。
参照:住まいのお役立ち情報【LIFULL HOME'S】

堀之内町」他の旧町名取材のいきさつについては、次回以降の記事で紹介していく予定である。