2021年10月18日第3弾である。
更新情報
2021年10月26日再訪し、豊島区堀之内二〇四を発見、記事に追加。
「西巣鴨」を発見した後は、池袋駅から帰ることにしていたので、「堀之内町」探索に再チャレンジする。
上池袋1丁目にないかなと思って探すが見つからず、そろそろ帰らないとということで、気が付くと明治通りに出ていた。
その途端、明治通り沿い反対側の2丁目に、ネットで見覚えのある建物が目に入った。
何たる偶然だ。
先ほどは2丁目の中の方だけ探していて、広い通りには出なかったので、見つけられなかったのだ。
それがこの表札である。
①東京都豊島区堀之内町七十九番地
発見日 2021年10月18日
発見場所 東京都豊島区上池袋2丁目
②豊島区堀之内二〇四
発見日 2021年10月26日
発見場所 東京都豊島区池袋本町1丁目
北池袋駅付近にあるのではないかとの想定の下、再訪したところ、①があった駅の東側の上池袋ではなく、西側の池袋本町で発見。
線路で分断されていると思っていたが、こちら側にも堀之内があったのだ。
北池袋駅の歴史を調べてみると、下記の通り元は堀之内駅だった。地名の消滅とともに、駅名も変更されてしまった。
1945年(昭和20年) 4月13日
東京大空襲により駅舎崩壊。
1945年(昭和20年)5月20日
休止。
1947年(昭和22年)8月29日
東武堀之内駅廃止。
1951年(昭和26年)9月1日
同一地点に北池袋駅が開業。
次に紹介したいのはこれである。
ゴミ出しの注意看板とでもいうものだろうか。
「容器」の「器」の字が見たことがない異体字?俗字?の「噐」が使用されており、広告主の「石川寝具店」の「寝」は旧字体「寢」が使用されているところなど、時代を感じさせる。
下部に小さい文字で住所が記載されている。これが今回の主役の「堀之江内町」である。
1970年(昭和45年)に消滅した町名なので、これは50年以上前からここにあったものかもしれない。
そう考えると、よく残っていてくれたと思う。
地名の由来
「堀之内橋の由来」説明版より
この説明版は、柵に覆われていて、このように撮るのに苦労した。
(撮影日2021年10月21日)
江戸時代の頃、この橋のあたりは新田堀之内村という畑作中心の小さな農村でした。明治に入ると巣鴨村に編入され、文明開化の波が押し寄せるに連れ、新しい交通機関として鉄道の建設が進みました。明治18年(1885)に山手線が品川~赤羽間、明治36年(1903)に、池袋~田端間が開通し、村も大きく様変わりを始めました。
大正7年(1918)に町制の施行により西巣鴨町となり、「大字新田堀之内」は「堀の内」と改称されました。大正12年(1923)の関東大震災以後、多くの人が移り住み、急速に市街化が進んだのもこの頃です。
昭和を迎えるとすぐに明治通りの整備が始まり、山手線をまたぐために架けられた橋が地名にちなんで「堀之内橋」と命名されました。昭和7年(1932)10月1日、東京市域拡張により豊島区が誕生し、この地域が「堀ノ内町」となりました。
その後「堀之内町」の地名はなくなり、現在、「堀之内」は、橋や踏切の名として、わずかに残っているだけとなっています。
平成13年(2001)3月 豊島区
とあるが、杉並区堀ノ内と名前が被るため、昭和44年の住居表示で上池袋と改名させられたらしい。
豊島区立上池袋さくら公園に「堀之内」の旧地名案内が設置されていた。