歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 豊島區高田本町

高田には、西から、「のぞき坂」、「宿(しゅく)坂」、「稲荷坂」、「富士見坂」と急坂がある。

①の表札があるお宅は、その中の「宿坂」の途中にあるのだが、坂側の石の塀は崩落しないように格子状の金属で補強されている。

「のぞき坂」は東京で最も急な坂と言われている。東京都内で自動車通行が可能な道路としては、傾斜・延長距離ともに最急の一つに数えられる坂である。
以前、高田には訪れたことはあるが「のぞき坂」はまだ行ったことがなかった。
今回も当然歩いていない。
この記事を書いているときに存在を知ったという、なんという失態だ。
「東京の坂」という写真集を出している中村雅夫氏は、かつて東京で大雪が降った折、のぞき坂では除雪作業をせずに一日通行止めにして、子供のソリのゲレンデとして開放していたと書いている。
こんなこと、今では不可能だろう。

なんか坂の話題ばかりになってしまった。

①豊島區高田本町一丁目三百四十五番地

発見日  2021年10月21日

発見場所 東京都豊島区高田1丁目

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表札の上部になるにつれて文字がかすれてしまっている。「地」の文字が一番はっきりしているが、どうしてこのようにかすれ具合が違うのだろうか?
この表札は、北向きに設置されているため、日光の影響は受けにくいだろう。
まあ、設置されてから50年以上経過していると思われるので、仕方ないことだ。

②豊島區高田本町一丁目三百四十四番地

発見日  2024年3月14日

発見場所 東京都豊島区高田1丁目

よく見ると薄くなった文字が見える。

何と書いてあったのだろう?

気になる~。

ところで「區」の文字はいつ頃まで使用されたのだろうか?
この表札は、「区」ではなく、旧字体の「區」が使用されている。
戦前の表札はすべて「區」だと思うが、これら表札も戦前からあったのだろうか?

上では、「のぞき坂」を上り下りしたことはないと書いているが、体験済である。どこかの記事で書いたような気がする。

この日は「稲荷坂」を下り、「宿坂」を上った。下りはともかく上りはどこの坂もきついよね。特に歩き回った後の急坂は堪える。

沿革
明治2年
新政府によって高田村とされた。

明治11年
「郡区町村編制法」により北豊島郡に所属。

明治22年
「市制町村制」により高田村・雑司ヶ谷村・高田若葉町・高田千登世町・雑司ヶ谷旭出町・巣鴨飛地・小石川村飛地・高田老松町飛地・高田豊川町飛地が合併して高田村を構成。

大正9年
町制に移行して高田町大字高田になる。

昭和7年
東京市に併合されて豊島区高田本町1~2丁目・高田南町1~3丁目となった。

昭和41年
新住居表示により高田本町の一部を雑司ヶ谷・目白に譲り、高田本町の大部分と高田南町1~3丁目をあわせた町域を現行の「高田」とした。

地名の由来
宿坂や富士見坂に見られるように「急斜面地」によると考えられている。
地名用語によると「タカ」または「タケ」は崖や急な傾斜面のことをいうようだ。
ここは神田川に向かって急斜面になっており、そこに段々畑で耕地を開発したことによると考えられている。

参照:東京の地名の由来 東京23区辞典 東京知ったかぶり!