渋谷駅からこの日の探索は始まった。
この日の探索目的は、以下の通りだった。
①港区南青山付近の石の祠のようなものに「澁谷町八幡通」のプレートが設置されているとの情報を得たので、探索して、それを発見する。
結果から言うと発見することはできなかった。3時間くらい探索してみたが、探索範囲が広いのと、土曜日だったせいが、あまり好きでない人混みがあり、集中して探索できなかったせいなのかもしれない。
そう簡単には見つからないと思うが、「石の祠のようなもの」をヒントとして、再チャレンジしようと考えている。
②千代田区神田多町にある最近閉店した「サカエヤ」の現状を確認する。
別記事で紹介する予定である。
③旧町名「神田區須田町」の表札の探索。
発見できたので、後日紹介予定。
④神田鍛冶町の痕跡の探索。
発見したのだが、外が暗くなり、うまく撮れなかったため、後日再訪し、後日紹介予定。
10月終わりともなるとは日が暮れるのが早い。
当初予定していなかったが、過去発見したもので再確認ができたものと探索途中に新たに発見したものがあったので紹介しよう。
⑤青山の庚申塔
発見場所 東京都港区南青山4丁目
都心、特に千代田区、中央区、港区に残された庚申塔をみかけることはあまりない。寺社境内に守られているものもあるが、路傍にあるというのは珍しい。
これは、ほとんど人通りのないと思われる青山霊園立山墓地の南端にひっそりとたたずんでいる。
この庚申塔はアスファルトの道路に直接埋まっており、これはこれで珍しいことだが、元の土台はなかったのだろうか?
本庚申塔は、高さ103cm、最大幅94cm、最大厚17cm、安山岩(根府川石)で作成されています。石塔の形態は板状の「自然石形」を呈し、下部の一部は地中に埋まっています。銘文は正面に「庚申塔」と刻まれており、その下に花押がありますが、揮毫した人物は未詳です。その右側には「慶應元乙丑年」、左側には「五月大祥吉日」とあり、慶応元年(1865)五月に造立されたものであることがわかります。さらにその右側には、一部剥離していますが、「右 あをやま 内とうしん[宿] ほりのう[ち]」、左側には「左二十きおくみ屋「敷ヵ] 百人おくみ屋[敷ヵ] ぜんこ[うじ]」と刻まれており、この庚申塔が「右 青山・内藤新宿・堀之内」、「左 二十騎組屋敷・百人組屋敷・善光寺」の方向を示す道標の役割も果たしていたと考えられます。
また、この地域では昭和初期まで庚申祭(庚申講)が行われていたと伝えられていますが、この庚申塔はそうした民間信仰が江戸時代に遡ることを示す貴重な資料です。
平成27年10月14日
港区教育委員会
江戸時代の地名の記載があったので、調べてみた所、現代に直すと、右に進むと青山、今の長者丸通り、そして内藤新宿、杉並堀ノ内の妙法寺、左は青山の幕臣が住んでいた二十騎組(現在の南青山4・5・6丁目)百人組(大山道沿い・現在の青山通り沿い)そして今も北青山にある善光寺ということになるようである。
⑥楠 切り株からの復活
発見場所 東京都港区南青山3丁目
この楠(くすのき)は、数百年の歴史を持つ大木でしたが、宣伝会議が当地を取得する直前に伐採されてしまいました。平成九年に宣伝会議本社ビルが完成しましたが、建設に際しては専門家に相談の上、切株を取り囲むコの字型にし、中央部分は地面に雨水がしみこむように板張りの中庭にしました。
すると切株から再び新芽が生えはじめ、以来成長し続けています。
平成十二年八月一日に、この楠の保護・保存を目的として、熊野本宮大社(和歌山県)による御魂の奉納式を行いました。
平成二十四年四月に宣伝会議本社は移転し、当地に事業構想大学院大学が開学しました。
青山の街並みにたたずむこの貴重な楠を、いつまでも見守り続けたいと考えます。
Myタウン赤坂青山地域情報誌第20号より
青山通りから入ったところに古い木造家屋があり、 この楠も高さ十数メートルもある立派なものでした。 昭和50年(1975)の区の記録には、 幹の周囲は4m20cmとあります。楠は土地の売却にあたって切り倒され、 かつての姿をしのばせる大きな切り株だけが残りました。
(株)宣伝会議がこの地を入手してすぐ、切り株の2か所から小さな芽が数本出ているのが見つかったため、建物は、楠を中心に根を遮ることのないよう設計されました。平成8年(1996)、次々に新しい芽が出はじめ、1年後には建物の1階部分を超えるほどに成長しました。「命のよみがえったこの木を、ずっと大切に守っていこう」との話が持ち上がり、平成12年(2000)の夏、和歌山県の熊野本宮大社のお祓いを受け、「ご神木」となりました。
生命力の強さに感動。
楠と言えば、東京都文京区本郷1丁目に生育する本郷弓町のクス(ほんごうゆみちょうのクス)をご存じだろうか?
推定の樹齢は600年といわれ、江戸時代には『本郷のクスノキ』と呼ばれて名高い木であったそうだ。
樹高は20メートル、幹回りは8.4メートルと文京区で一番の巨木だそうだ。
ビルの谷間にそびえ立ち、こんなところにと驚くこと間違いないだろう。
⑦赤坂で琺瑯町名看板、ナンバーくん住所プレート、往年の名車スカイライン2000GT-Rと奇跡の3ショット
発見場所 東京都港区赤坂3丁目
赤坂にある琺瑯町名看板、ナンバーくん住所プレートを再訪したところ、駐車場にスカイライン2000GT-Rが止まっていた。
これは初代のスカイライン2000GT-Rかもしれない。
箱形のようなフォルムから、ハコスカの愛称で親しまれた初代GT-Rは、おとなしいボディに獰猛なエンジンという意味の「羊の皮を被った狼」というキャッチフレーズが先代プリンス・スカイライン2000GT-Bからそのまま受け継がれた。
現在の中古の価格を調べた所、1000万~3000万と驚きの価格が付いているものもあった。
発売は1969年2月とのことなので、50年以上経過していることになる。
琺瑯町名看板、ナンバーくん住所プレート、スカイライン2000GT-Rとほぼ同世代と思われるものが揃った貴重な遭遇体験であった。
⑧東京都千代田区三年町
再訪して、現存を確認できたので、後日紹介予定。
総歩数 34,895歩
距離 23,379m