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旧町名 東京都台東区浅草小島町

また、春日部市で東京都の旧町名を発見した。
何を寄進したのかは不明だが、寄進プレートに「東京都台東区浅草小島町」の旧町名が記載されていた。

発見日  2021年11月22日

発見場所 埼玉県春日部市粕壁東2丁目

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寄進者の「日馬鎖製作所」は現存していないようだが、かつて東京都台東区小島一丁目の店舗で鎖及び貴金属装身具の製造販売業を営んでいたようだ。

沿革

1872(明治5)年
隣接する蝦夷松前藩松前家3万8,000石、下野烏山藩大久保家3万石、越後三日市藩柳沢家1万石の各上屋敷、近隣の武家地を合併して町域を拡げ、「浅草小島町」と改称。この時以来、当町はそれまで下谷に属していたのを浅草に鞍替えした。

1878年明治11年)11月2日
東京府浅草区に所属

1889年(明治22年)5月1日
東京府東京市浅草区に所属。

1934年(昭和9年)
一・二丁目に分割、その際、浅草西鳥越町の一部が一丁目に、浅草北三筋町の一部が二丁目に編入となる。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都浅草区に所属。

1947年(昭和22年)3月15日
東京都台東区に所属。

1964(昭和39)年1月1日
住居表示の実施により、小島一・二丁目、三筋一・二丁目に編入となる。

町名の由来(旧町名由来案内より)
むかし、この付近は鳥越村に属する沼地であった。そして浅草猿屋町の小島屋酉之助という者の先祖が、この地の名主役を勤めていた。その後、寛永七年(1630)、その祖先が三味線堀川筋の堀割工事で掘りおこした土を使って沼地を埋め立て、そこに開いた町を小島町と名付けた。そして、明治五年(1872)に隣接する武家屋敷を合併し町域を広げたが、昭和九年に浅草小島町は南北二町にわけられ、南側が一丁目、北側が二丁目となった。
 鳥越川の堀割工事でできた堀が三味線堀である。堀の形が三味線に似ていたので、その名が付いたといわれる。