歩・探・見・感

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旧町名 武蔵野〇吉祥寺野田北

タイトルの町名に「〇」が付いている。
「武蔵野〇」って何だ、間違いではないか?
いや、間違いではない。
ここに「村」、「町」、「市」の文字が入るからである。

このように3世代が揃っているのは、珍しいのではないか。
その珍しい町名の推移を紹介しよう。

 

武蔵野村大字吉祥寺字野田北

発見日  2021年11月8日

発見場所 東京都武蔵野市吉祥寺北町1丁目

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武蔵野市1回目の探索では見つけることができなかった。
帰ってから調べた所、歩いた道にあったのに、気が付かなかった。
表札の色が目立たなかったせいもあるが、なぜか見落としてしまったのだ。
1回目の探索後、武蔵野市立中央図書館に立ち寄り、古地図で位置を確認したので、2回目の探索ではスムーズに見つけることができた。

明治22年(1889年)4月1日
市制町村制の施行にともない、吉祥寺・西窪・関前・境の4カ村と井口新田の飛び地とが合併して武蔵野村が誕生。
このころの武蔵野村は、神奈川県の管轄で「神奈川県北多摩郡武蔵野村」となっていた。

明治26年(1893年)
西多摩・南多摩の2郡とともに、東京府へ移管される。
これにより、「東京府北多摩郡武蔵野村」となる。

 

武蔵野町吉祥寺野田北

発見日  2021年11月6日

発見場所 東京都武蔵野市吉祥寺北町2丁目

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昭和3年(1928年)11月
町制をしいて武蔵野町となった。

 

武蔵野市吉祥寺野田北

発見日  2021年11月6日

発見場所 東京都武蔵野市吉祥寺北町1丁目

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昭和22(1947)年11月3日
武蔵野町は市制を施行して、武蔵野市が誕生。

昭和37(1962)年
町名が整理され、吉祥寺本町吉祥寺東町吉祥寺南町吉祥寺北町、御殿山、中町の6つに分割され、現在に至る。

 

地名の由来
武蔵野村の名称は、旧村のいずれかの名称をとるのを避けて、武蔵野台地にちなんで新しく付けられたといわれている。しかし、どのような経緯でこの名称に決まったのかについての資料は残っていない。

 

武蔵野市のホームページを調べていたら、地名について下記の記載があったので、引用させていただいた。

令和2年度 第2回企画展「武蔵野の地名」関連講演会「武蔵野台地の地名から学ぶ」ご質問への回答より

【質問2】
武蔵野市域には古くから水田がないと聞きますが、なぜ「田」のつく「野田(のでん)」という地名があるのですか?

【回答2】
「田(た)」は物を産み出す土地という意味があります。油田、塩田は水稲の場ではないのに「田」という文字を使います。「田(でん)」という言葉を『日本国語大辞典』第二版で引くと、「田(た)、はたけ。田地。田畑。」とあります。「野田」の「田」は「田圃(水田)」のみを指す言葉ではなく、「田畑」を指す言葉として解釈したほうが良いでしょう(波田)。

【質問3】
「野田」の読みはなぜ「のでん」なのでしょうか?

【回答3】
「野田(のでん)」という言葉を『日本国語大辞典』第二版で引くと、「野や田。野と田ばかりのような屋外の場所。」とあります。『日本国語大辞典』にはその言葉がどういった文献に登場するのか紹介しています。「歌舞伎・御摂勧進帳 四立」(1773)、「読本・南総里見八犬伝 八・七四回」(1814-1842)、「滑稽本・八笑人」(1820-49)に「野田(のでん)」の記述があるそうです。現在では耳慣れない言葉ですが、その当時は珍しくない読み方だったのではないでしょうか(波田)。

参照
武蔵野市 むさしの百年物語