歩・探・見・感

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戦争遺跡 中島飛行機 武蔵野工場引込線 橋台跡

武蔵境駅付近にある旧町名を探索する途中で、境浄水場の東、玉川上水沿いに下記の案内板を見つけた。

発見日  2021年11月8日

発見場所 東京都武蔵野市関前1丁目

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武蔵野の戦争の記憶を訪ねて

中島飛行機 武蔵製作所 工場引き込み線 橋台跡

現在の都立武蔵野中央公園から市役所あたりまでは、かつて戦前の日本を代表する航空機メーカーであった中島飛行機株式会社武蔵製作所という軍需工場がありました。
 工場は、昭和13(1938)念から20(1945)年まで稼働し、ゼロ戦や隼などの軍用機のエンジンを生産していました。この工場への物資輸送のため、武蔵境から工場まで引込線が敷設されました。戦争末期、工場はアメリカ軍による激しい空襲を受けましたが、その際、この引込線や隣接する境浄水場も被弾しました。
 戦後、昭和26(1951)年、工場跡の一角に「東京スタジアム グリーンパーク野球場」が開設され、プロ野球観戦などの観客輸送のため、引込線は敷き直され、三鷹駅からの国鉄「武蔵野野球場線」として生まれ変わりました。しかし、まもなく野球場は閉鎖され、引込線も昭和34(1959)年に廃止になりました。
その後、玉川上水から北側は「グリーンパーク遊歩道」として、また南側は「堀合(ほりあい)遊歩道」(三鷹市)として生まれ変わりましたが、この場所には、コンクリート製の土台だけが残されました。平成24年(2012)年、都道の建設に伴い、橋台の上に「ぎんなん橋」が設置されました。
この橋台跡は、工場への引込線の遺構で唯一残った戦争遺跡です。

 

前提知識がなかったので、回りを探してみたが、案内板にあるような橋台跡は見当たらず、これかなと思って写真を撮ってみたのだが、とても中途半端な写真になってしまった。

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ぎんなん橋といちょう橋(左)の中央辺りに橋台跡があり、見えるように撮ったはずなのだが、草木でよく見えない。反対側から撮ったら見えたのかもしれない。

更に、右端に線路が埋め込まれているのだが、ほんの一部しか見えていない。

最近の探索目的は、旧町名が主となっているので、こんなことになってしまった。
事前調査無しでこのようなものに偶然出会うのも、ウロチョロ、フラフラ、アチコチ探索ならではある。

 

ところで中島飛行機をご存じだろうか?

昭和戦前期の武蔵野町は、農地の減少や住宅地化が進んだほか、日本の戦時体制の強化に伴い、軍需工場も立地するようになった。

中島飛行機は戦前、国内有数の軍事企業で、戦闘機「隼(はやぶさ)」「零戦」などを製造していた。武蔵製作所は今の武蔵野市緑町や八幡町にあった敷地56万平方メートルの大規模工場で、主に軍用機のエンジンをつくっていた。周辺に関連企業も多数あったため、米軍機の標的にされ、戦争末期の1944年11月~45年8月、9回にわたって爆撃された。8月8日の爆撃機B29による最後の空爆で、工場はほぼ機能を失った。

 

まだ、いくつか戦争遺跡が残っているようなので、機会があったら、訪問してみたい。