歩・探・見・感

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旧町名 東京都北多摩郡國分寺町平兵衛新田ハケ下

今回は現在の町名「光町」とギャップをかなり感じさせる旧町名を紹介する。

 

「光町」の町名の由来は以下のようになっている。
1966年(昭和41)年2月の町名整理において、東海道新幹線の開発研究を行なった鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所)があることから、新幹線「ひかり」号にちなんで「光町」と名づけられた。

 

発見日  2021年3月25日

発見場所 東京都国分寺市光町1丁目

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門柱が新しくなっているので、この表札はあえて残していただいているようだ。

平兵衛新田ハケ

「平兵衛」は「へいべえ」ではなく「ひょうべい」と読むようだ。

えっ!「ハケ下」とは何だ?

「○○新田」という旧町名は見たことがあるような気がするが、町名に「ハケ下」とカタカナが付いているのは初めて見た。と思う

ハケ」という言葉は聞いたことがあるような気がする。

思い出せないので、さっそく調べてみた。
「野川の水源」という案内板の説明書きに以下のような記述があるので、掲載させていただく。

「日立中央研究所内」の湧水が野川の始まりです。
この坂のあたりは国分寺崖線(通称ハケ)の一部です。
ハケ下の周辺には湧き水がいたるところに見られ、「姿見の池」、「真姿の池湧水群」などの水が集まって野川の流れとなっています。

 国分寺崖線
 国分寺崖線は通称「ハケ」と呼ばれています。
この崖線は古多摩川の浸食によって出来た崖の連なりで、国分寺市の西町五丁目あたりから目立ち始め、世田谷区あたりまで続いています。
 国分寺市にいちばんはっきりあらわれているので、「国分寺崖線」と呼ばれていました。

 湧水
ハケ上の台地に降った雨は水を通しやすい火山灰層(関東ローム層)を通り、下の砂利層(れき層)にたまります。
その下には水を通しにくい地層があるため、たまった地下水は砂利層を横に流れ、崖線のすそからしみ出してきます。
これが湧水です。
 野川の両岸では旧石器時代から縄文時代の遺跡が数多く発掘されています。
 野川は古代から豊かな実りをもたらす大切な川であったのだとされています。


ハケ下」は文字通り「ハケ」の下、崖の下ということになるが、現在の国立駅北口のこの辺りは住宅地で、今はその面影はない。
ハケ下」という地形の名称が、当時の住所に入っていたこと、それが現在も表札に残っているということは、そう、奇跡だ。そう思うのは自分だけかもしれないが・・・。

ハケ下」があるということは「ハケ上」もあったのだろうか?

 

国分寺市の沿革
1868年(慶応4年)
明治維新により、国分寺村 、恋ヶ窪村、内藤新田、戸倉新田、本多新田の5村は品川県に、榎戸新田、野中新田六左衛門組、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田の5村は韮山県に属した。

 1889年(明治22年
市制・町村制施行で国分寺村、恋ヶ窪村、戸倉新田、本多新田、内藤新田、榎戸新田、野中新田六左衛門組、中藤新田、平兵衛新田、上谷保新田および本宿村の一部が合併し国分寺村が誕生した。

1893年明治26年
国分寺村は 、東京府編入され、東京府北多摩郡国分寺村となる。

1940年(昭和15年
国分寺村が町制施行して東京府北多摩郡国分寺町となる。

1943年(昭和18年
東京府は東京都に改称され、東京都北多摩郡国分寺町となる。

1964年(昭和39年)
市制施行によって国分寺市となり、郡より離脱。

 

北多摩郡国分寺町から国分寺市になったのが、1964年なので、この表札は50年以上から存在していることは間違いない。

 

くちたちしらべNO.11『くにたちの地名』シリーズ1 くにたちのなりたちに「下谷保の百姓、遠藤平兵衛は平兵衛新田を開発した。」とあるので、町名はここから付けられたのだろうか?

 

平兵衛の名称は鉄道総合技術研究所で年に一度行われる「平兵衛まつり」、平兵衛樹林地で残っている。

 

平兵衛新田を開発した川崎平右衛門について

1722年(享保7年)
8代将軍吉宗が「新田開発奨励の令」を発すると、多摩でも一斉に開墾が行われ、国分寺村と恋ヶ窪村だけだった国分寺市内に、本多新田、戸倉新田、内藤新田、野中新田六左衛門組、榎戸新田、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田と8つの新田が開発された。
この新田開発に大きく貢献したのが府中押立村の名主・川崎平右衛門だった。

1739年(元文4年)
南北武蔵野新田世話役を拝命した平右衛門は、退散農民の立ち帰り策として救援米支給、出百姓の生活安定のための公共事業実施、公金の貸し付け、土地に適した栽培品の選択指導など大胆かつ実状に即した数々の施策をとって新田開発を成功に導いた。

 

参照

ぶらぶらマップ『府中~国分寺歴史散歩その2』

国分寺市ホームぺージ

Wikipedia