歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 荏原區中延町

この表札は、この業界のパイオニア、先駆者、草分け、大御所である「102so」さんが10数年かけて、荏原區全域をしらみつぶしに探しに探し続けて、2020年9月13日にようやく発見されたという逸品だ。
大発見だと言ってもいい程の貴重な表札だと思う。

実際に出会うことができたのは「ぶる」さんのtwitterのおかげである。
「ぶる」さんのtwitterには、表札の住所を加工せず番地まで写してある写真と設置してある場所の写真が掲載されているものが多い。
それらの写真があるおかげで、古地図と現在の地図とストリートビューを駆使しながら、設置場所を特定、推定することができるものもある。
品川区は戦後の古地図しか所持していないのだが、それで調べたところ、この表札が設置されているおおよその場所が分かったので、ストリートビューで探してみることにした。
完全には特定はできなかったが、写っている別の住宅からおおよその場所を推定することができた。

旗の台は地名に“台”の字がつくように台地上に立地している。そのため、旗の台の住宅街エリアは坂が多い。
推定場所が間違っていたら、足腰には自信があるが、探索するのにかなり坂道のアップダウンに悩まされたことだろう。
しかし、幸いなことに推定していた場所に存在してくれた。

この表札に出会わせてくれたお二人に感謝。

 

発見日  2021年11月25日

発見場所 東京都品川区旗の台4丁目

それは自然石が埋め込まれているユニークな門柱に設置されていた。
これはある意味芸術品だ。

f:id:citywalk2020:20211125205735j:plain

荏原區中延町一二六六番地

f:id:citywalk2020:20211125205745j:plain

品川・荏原両区における空襲等の被害状況を調べてみたところ、罹災面積では、品川区現・品川区南品川、北品川、西品川、東品川、広町、東大井、西大井、大井、南大井、二葉、大崎、東五反田西五反田)で10.16km2のうち3.90km2(罹災率38.39%)、荏原区(現・品川区荏原、小山、豊町、戸越、平塚)で3.8km2のうち3.68km2(罹災率95.78%)となっている。
特に荏原区は35区中最高の罹災率で、区のほとんど全部が焼き尽くされた。
空襲で狙われたのは、荏原区内に多く存在していた普通の民家にしか見えない小さな「工場(こうば)」において、軍事関連の爆弾や部品類がつくられているという懸念が連合軍側にあったためで、軍事施設ではない一般家屋や学校、神社仏閣などもまとめて一斉に爆撃されてしまう羽目となった。
品川区近辺で比較的被害が少なかったのは、品川湾岸(現・大田区平和島)に捕虜収容所があったことが配慮され、爆撃がなされなかったためだと言われている。

1945年日本地図株式会社発行の「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」を見ると、この付近は戦災消失区域になっていた。このような状況の中、生き残ったこの表札は、とても貴重なものだ。

歴史
1889年(明治22年
町村制施行により平塚村の大字となる。

1932年(昭和7年
荏原区中延町。

1941年(昭和16年
中延・東中延・西中延などに分割された。

1965年(昭和40年)
住居表示実施により中延と東中延の一部が中延一~六丁目に編成された。

地名の由来
荏原郡など何らかの中部に位置したことによるともいわれるが、不明である。
江戸時代までは「なかのべ」と読んだ。