新宿区にもまだこのような粋な町名が残っている。
①新宿区番衆町九番地
発見日 2021年3月15日
発見場所 東京都新宿区新宿5丁目
達筆な文字である。
②新宿区番衆町拾番地
発見日 2021年10月21日
発見場所 東京都新宿区新宿5丁目
靖国通り沿いの行き止まりの道の入口に「御嶽山大教普寛大殿教会」の案内板があり、突き当りを見ると宗教施設の建物が見える。
道の両側はマンション等に囲まれているが、近寄りがたく、その道を進むのは少し勇気がいるかもしれない。
そのせいもあり、こんなところにあるはずがないということでなかなか見つからなかったのかもしれない。
と言っても自分が最初に見つけたのではない、目撃情報があったので、それを頼りに探してみたら、見つかったのである。
いつもファーストコンタクトした方には感心する。
宗教施設について調べてみたところ、「御嶽山大教」は木曾御嶽信仰の教派神道家の宗派のひとつのようだ。「普寛」は御嶽中興の祖と言われている。
写真を撮った後、その宗教施設に入る人を見かけたので、、今でも活動しているようである。
歴史
1868(明治2)年
内藤新宿番衆町が正式に起立、品川県豊島郡に所属。
明治4年12月5日(1872年1月14日)
東京府豊島郡に所属。
1889(明治22)年5月1日
内藤新宿町が成立、東京府南豊島郡内藤新宿町大字内藤新宿番衆町となる。
1896(明治29)年4月1日
豊多摩郡が成立し、東京府豊多摩郡内藤新宿町大字内藤新宿番衆町となる。
1920(大正9)年4月1日
東京府東京市四谷区番衆町となる。その際、もと内藤新宿町大字内藤新宿番衆町の全域に大字内藤新宿北裏町の一部を併合して町域を拡げる。
1943(昭和18)年7月1日
東京都四谷区に所属。
1947(昭和22)年3月15日
東京都新宿区に所属。
1978(昭和53)年7月1日
住居表示の実施により、新宿五丁目に編入となり消滅。