撮影日 2021年11月27日
撮影場所 東京都品川区南品川
70m先を右に曲がると書いてあるこの標識の説明を見て、勘違いしてしまい、更にゼームス坂を登るが70m先には右に曲がる道はなく、さっきの道を右に曲がるんだったのかと自分の馬鹿さ加減にあきれて戻る。
「三越ゼームス坂マンション」の駐車場入口にあるゼームス坂の石碑の向かい側の小高くなったところにひっそりと佇んでいた。
品川郷土の会が、平成7年の創立20周年記念行事として建立したそうだが、目立たなさすぎだ。
と思ったが、私有地なのだろうから、仕方ないのかもしれない。
記念碑の文字は高村光太郎氏直筆の原稿を拡大して刻んだそうだが、老眼の自分には厳しい。
レモンが数個供えられていた。
高村智恵子詩碑
この地は、詩人高村光太郎氏の愛妻智恵子氏が、晩年、療養生活を送っていたゼームス坂病院があったところです。また智恵子氏は昭和13年10月5日、53歳のときにこの病院の一室でお亡くなりになられました。
品川郷土の会では、この貴重な文化的史跡を永く後世に残すため、詩碑を建立することにし、高村光太郎氏が、智恵子氏との永劫の別れを哀惜して詠まれた、有名な詩「レモン哀歌」を詩碑に刻みました。
碑は推定される智恵子氏の背丈にあわせ、文字は高村光太郎氏直筆の原稿をそのまま拡大して刻みました。
なお、この詩碑の建立にあたって、快く「レモン哀歌」の使用を承諾していただいた高村規氏、また、土地の使用を承諾していただいたゼームス坂病院跡地所有者、東京マックス株式会社に心より感謝いたします。
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
「智恵子抄」より
二本松市の団体「智恵子のまち夢くらぶ」の主催で、「智恵子抄」出版から今年(2021年)で80年となるのを記念して実施した智恵子抄総選挙でこの「レモン哀歌」が1位になったそうだ。
このような詩を読んだのは学生時代以来だろうか。
社会人になってからは文学作品とは縁遠い生活になっていた。
こういう機会が無かったら、読むことはなかったかもしれない。