長屋門は近世諸大名の城郭、陣屋、武家屋敷門として発生した形式で、江戸時代に多く建てられた。諸大名は、自分の屋敷の周囲に、家臣などのための長屋を建て住まわせていたが、その一部に門を開いて、一棟とした物が長屋門の始まりである。
その後、長屋門は上級武士の住宅の表門の形式として広く利用されるようになっていった。武家屋敷の長屋門では、門の両側部分に門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用された。侍屋敷の長屋門は武家屋敷のものより小規模であるが、基本的な構成はほぼ同じである。
また郷村武士の家格をもつ家や、苗字帯刀を許された富裕な農家・庄屋でも長屋門は作られた。更に明治以後は他の富農の家屋敷にも作られるようになった。このような長屋門では、門の両側部分は使用人の住居・納屋・作業所などに利用された。
現在、埼玉県さいたま市には100近くの長屋門が確認されている。
国登録有形文化財に指定されている細淵家住宅長屋門、さいたま市有形文化財に指定されている深井家長屋門、細淵家住宅長屋門、永田家長屋門などがよく知られている。
今回紹介する埼玉県さいたま市本太に残る4軒の長屋門は「市民が選んださいたま百景」に選ばれ「本太、長屋門が並ぶ通り」として以下のように紹介されている。
本太三丁目に長屋門が並ぶ通りがある。今はどの家も前栽畑を垣根で囲ってしまったが、玄関に続く敷石の中間に立派に改装された瓦葺き屋根と白い漆喰の長屋門が窺える。
周囲は県道四六三号バイパスが開通し、マンションが建ち並び、屋敷林の森も分断されたが、母屋とともに各長屋門は残され、並びの脇に佇む観音堂前の八重桜が変わらぬ春を告げている。
それでは、西側から長屋門を紹介していこう。
発見日 2021年11月21日
発見場所 埼玉県さいたま市本太3丁目
長屋門①
一番西側にある長屋門。
②から④とは少し離れた場所に位置している。
こちらは2004年の第4回さいたま市の景観協力賞に選ばれている。
①と②の間に以前紹介した「旧町名 武州足立郡髙埇郷本太村」の「松原観音堂」がある。
長屋門②
こちのお屋敷には、蔵もある。
長屋門③
こちらの長屋門に設置されている表札が気になっているのだが、道から離れているので、何と書かれているのかが分からない。
お住まいの方に出会うことがあれば、見せていただこうと考えている。(そんな勇気はないかもしれない・・・)
長屋門④
通り沿いの門から見た長屋門
たまに古い民家でもこのような色の漆喰を見かけが、今のところ、このような青っぽい色漆喰が使用されている長屋門は見たことがない。