歩・探・見・感

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几号高低標 埼玉県幸手市

幸手市には2020年3月25日も訪問しており、この几号高低標の写真を撮っていたことが、今回、幸手市を訪問するための事前調査でわかった。

事前調査するまで、すっかりここを訪問したことを忘れていたのだった。

この時は、旧日光街道沿いを探索しているときに、たまたまあったということで撮っただけだった、と思う。

だから記憶になかったのだと思う。ということにしておこう。

 

発見日  2020年3月25日(撮影日2021年12月6日)

発見場所 埼玉県幸手市中2丁目

 

これは、神明神社の参道入口の左側に設置されている。

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台石が二段重ねられており、上の台石に几号が刻まれている。

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几号を拡大して撮ったもの。

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几号高低標の案内板が設置してある。

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几号高低標(英国式水準点)

                              幸手市中二-一-五

 この案内板の後ろの石は、以前神社に奉納された灯籠の基礎の部分で、長い年月の間に上部が壊れたために脇に置かれていたものです。
 その側面に「不」の記号が刻まれていますが、これは「几号高低標」といいます。
 明治七年(一八七四)にイギリス式の測量方法が導入され、東京・塩竃宮城県)間の水準測量を行った際に神社の鳥居や灯篭等に設置されたもので、横線は測量に用いる平板を表し、下の部分は三脚を表しています。

                               幸手市教育委員会

 

この台石は2003年の秋までは本殿前の灯籠の右に石碑などと一緒に撤去品として放置されていて、かろうじて逆さになった几号が確認できる状態だったという。
しかし、草加神明神社同様に標石研究家伊藤正昭氏の保存嘆願により、幸手市教育委員会文化財保護委員会が動いて保存が決定され、その年の11月末には台石の移設と説明板の設置が終了したということだ。

伊藤正昭氏について調べてみたところ、「山岳展望への誘い」というホームページを開設されており、その中の「几号水準点(明治初期の水準点)」のページに几号水準点(几号高低標)についての記載がある。

伊藤正昭氏のホームページに上西勝也氏のホームページが紹介されており、「史跡と標石で辿る日本の測量史」の中の「初期の水準測量  几号高低標(几号水準点) 」「各地の几号高低標(几号水準点)」のページにも几号高低標(几号水準点)についての記載がある。

興味がある方は、アクセスしてみてはいかがだろうか。