青山霊園の中にあると思われる旧町名「八幡通」の痕跡をまだ見つけられていないが、過去に撮った電力プレートの中に「八幡通」の電力プレートがあったことを思い出したので、今回はそれを紹介しよう。
発見したのは、ほぼ1年前のこととなる。
八幡通り沿いの駐車場入口の立派な門に設置してあった。
この駐車場は、元はお屋敷の敷地だったと思われる。
発見日 2020年12月21日
発見場所 東京都渋谷区猿楽町
渋谷区の住居表示街区案内図に旧町名案内が記載されているものがある。
昭和3~44年の大字名・町名。1~3丁目があった。もとは豊多摩郡渋谷町大字青山南7丁目,大字中渋谷字並木・並木前,大字下渋谷字常盤松(ときわまつ)・伊勢山・猿楽(さるがく)・田子免(たごめん)・代官山・長谷戸(ながやと)・鎗ケ崎(やりがさき)の各一部で,渋谷町の大字として成立。青山通りから並木橋を経て駒沢(こまざわ)通りに至る道路(旧鎌倉街道)沿いの南北に細長い区域。青山通りに接していた1丁目の近くに金王(こんのう)八幡神社があったのが命名の由来。昭和7年渋谷区の町名となり,昭和41~45年,現行の渋谷2~4丁目・東(ひがし)1丁目・猿楽町・鶯谷(うぐいすだに)町・恵比寿西1丁目・代官山町の一部となる。
この右手の細い道を、古くから鎌倉道と呼び、源氏が鎌倉に幕府を開いて以来、東日本の各地に設けた軍道のひとつといわれています。
ここから西へ行くと、渋谷川を渡って台地をのぼり、猿楽塚の二つの築山の間を抜けて目黒川にくだり、さらに多摩川を渡って神奈川県にはいります。
また、東に進むと、青山学院の付近を渡り、千駄ヶ谷方面に達し、さらに東北地方に向かっていたといわれています。
大永4年(一五二四)に、相模の北条軍がこの鎌倉道を通って江戸に攻めのぼり、その時の戦火が渋谷地域にも及び金王八幡宮付近にあった城館が焼失したと伝えられます。