前回三鷹市を訪問した後に、三鷹市の名所を調べていたら、「三鷹電車庫跨線橋」が解体されることを知り、是非再訪問しなければと思った。
三鷹市のホームぺージに以下の記載があった。
三鷹こ線人道橋の今後の取り扱いについて
作成・発信部署:都市整備部 道路管理課
公開日:2021年9月7日 最終更新日:2021年9月7日
三鷹こ線人道橋(以下「こ線橋」という。)については、旧三鷹電車庫建設に伴い当時の鉄道省が昭和4年に設置し、鉄道省から国鉄を経て東日本旅客鉄道株式会社(以下「JR東日本」という。)が継承、以来JR東日本が維持管理してきました。しかし、こ線橋は鉄道事業施設としてではなく、実質生活道路として利用され、公共的施設として管理されることが相応しいとの見解から、JR東日本から無償譲渡の申し入れがありました。これまでの間、市民の皆様や市議会の思い等から、現状のままで存続する方法がないか模索してきましたが、2021年6月にJR東日本より、こ線橋は建設後長期間経過するとともに、耐震性能が現在の基準を満たしておらず、利用者や鉄道の安全安定輸送に支障をきたすことが想定されること、また、こ線橋の代替施設として堀合地下道があることから、撤去することで進めるとの見解が示されました。市としては、耐震性能に課題のあるこ線橋の譲渡を受けたとしても大規模な改修(耐震補強)及びメンテナンスに多額の費用が必要となること、改修により文化的価値が損なわれる可能性が高いことなどから譲り受けることは困難と判断し、耐震性能が現在の基準を満たしていないこ線橋の存続により、万が一の災害の際に利用者や鉄道の安全安定輸送に支障をきたすことも考えられるため、JR東日本の判断を受け入れることとしました。なお、こ線橋は三鷹ゆかりの文学者で世界的に有名な太宰治が好んだ場所として文化的価値が高く、市民に人気のある施設であることから、今後はJR東日本と連携し、こ線橋の一部を譲り受けて保存や映像・画像等での記録など、記憶と記録を残す取り組みを行っていきます。
この日は西東京市の旧町名探索がメインだったが、この「三鷹電車庫跨線橋」を最終目的地としていた。
日が暮れないうちに訪問し、夕焼けをバックにして写真が撮れればと思ったが、途中「田無神社」などに立ち寄ってしまい、間に合うかどうかわからなかったが、足を急がせた。
撮影日 2021年12月11日
どうやらギリギリ間に合ったようだ。
北側から全景を撮ったものだが、誰もいないと思っていたのに、豈図らんや(あにはからんや)多くの人の姿が跨線橋の上にいるのが見えた。
この跨線橋は「東京鉄道遺産100」に『中央線三鷹電車区に架かる歩道橋』として認定されている。
ちょうど半月くらいの月が出ていたので、跨線橋を入れて撮ってみた。
跨線橋はJR三鷹駅の約400メートル西に中央線などの線路を南北にまたぐように架けられている。全長93メートル、幅約3メートル、高さ約5メートル。1929年(昭和4年)、旧鉄道省が現在の三鷹車両センターの前身、三鷹電車庫を開設する際、人の往来を確保しようと建設されたものだ。
北側の階段
手すりは明るい緑色のペンキで塗装されている。
跨線橋の上
左の写真は北側を撮ったもの。
子連れが多かった。
手を振る子供たち、いつも通りなのか、電車が通るたび、警笛の音が聞こえる。
中央線、総武線、東西線や特急列車の車掌さんたちの日常なのだろう。
右の写真は、誰も通らない時を見計らって南側を撮ってたもの。
こちら側は電車が通らないので、子供たちの姿はなかった。
番号3の一番右は、ブルーだから京浜東北線か?
こんなところにあるはずないか。
調べてみたところ、東西線だった。
番号4はE353系で、特急「あずさ」「かいじ」で利用されているらしい。
その他はオレンジだから中央線であろう。
中央線の車両はいくつか形式があるそうだが、素人目には全部同じに見える。
三鷹電車庫の向こうに富士山が見える。
ちょうど夕焼けで、シルエットが美しい。
この景色がいずれ見れなくなってしまうのは残念だ。
南側の階段。
手すりは再塗装されていないため、老朽化をますます感じさせる。
石段は破損し、鉄筋も露出しているところもある。
ひびだらけだ、これも跨線橋が撤去されたら、撤去されてしまうのだろうか。
太宰が生きたまち
三鷹
陸橋(跨線橋)
中央線の上にかかる陸協に友人を案内することもありました。
この陸橋は、一九二九(昭和四)年に竣工した当時の姿を今も留めています。
三鷹市
写真は1948年(昭和23年)3月に、太宰がカメラマンの田村茂を案内して撮ってもらったものらしい。
通行される皆様へ
この三鷹こ線人道橋は、JR東日本が管理している橋です。
1929年(昭和4年)に古い設計基準で建設されています。このため、
地震等の災害発生時には通行禁止となりますので
他の道路へ迂回していただくようにお願いします。
迂回の道路につきましては、三鷹駅寄り「堀合地下道」を利用ください。
なお、今後、老朽化等により通行できなくなる場合があります。
ご理解とご協力をお願いします。
東日本旅客鉄道 八王子支社
南側の通りは、「電車庫通り」というようだ。
再び、北側へ
バス停名が「跨線橋前」になっている。
無くなってもこのバス停名は残るのだろうか?
「あずさ」だという子供たちの声が聞こえたので、通り過ぎてしまう前に慌てて写真を撮った。
暗くてわかりにくいが、
左側が走っている車両の中央部
右側が最後尾の車両
である。
えっ、なんの電車だかわからない?
このシルエットを見ただけで分かるのはマニアの方だけであろう。
色は全く見えていないが、
車体塗色は、南アルプスの雪をイメージしたアルパインホワイトを基本に「あずさ」伝統のあずさバイオレットの細帯を側面に配している。前面は「ストリームブラック」、側窓周りは松本城の青みがかった漆黒をイメージした「キャッスルグレー」である。
と車体の色もいろいろなこだわりがあるのだなと思った。
跨線橋の北側の通りは「堀合通り」と言うようだ。
「ほりあい」だと思ったが、ローマ字表記を見ると「ほりあわい」になっている。
三鷹市の難読地名のひとつだ。
元は大字上連雀字堀合だったが、現在は上連雀一丁目になっている。
この旧町名を見つけることができるだろうか?
三鷹市住居表示案内図
跨線人道橋は記載されていないようだった。
鉄道遺産も新しいジャンルとして今後このブログで取り扱っていこう。
これも撮り鉄なるのかわからないが、一員に加えていただこう。
2023年12月11日更新
撤去工事が2023年12月11日より着手されることとなり、2023年12月10日が一般の人が通れる最終日となった。別れを惜しむ大勢の市民や鉄道ファンが訪れ入場規制も行われるほどだったそうだ。
三鷹市は、太宰が写真を撮った階段の一部は保存するほか、15日から3日間、事前に申し込んだ人を対象に特別に渡り納めのイベントを行うことにしている。