歩・探・見・感

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旧町名 保谷町上保谷新田

発見日  2021年12月11日

発見場所 東京都西東京市新町5丁目

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北多摩郡保谷町大字上保谷字新田」だと思ったが「北多摩郡保谷町大字上保谷新田」と「大字上保谷字新田」ではなく「大字上保谷新田」だった。
えっ、違いがわからない?
説明しよう。
「大字上保谷新田」と小字名ではなかったのである。

 

保谷新田は、現在の西東京市新町(1~6丁目)が中心だが、五日市街道を越えた柳沢や東伏見の一部も元の上保谷新田に属していた。

 

歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、上保谷・下保谷・上保谷新田の3村が合併し、埼玉県新座郡保谷村を設置。旧3村はそれぞれ大字となる。

1896年(明治29年)3月29日
新座郡北足立郡への編入に伴い、埼玉県北足立郡保谷村上保谷新田となる。

1907年(明治40年)4月1日
保谷村が東京府北多摩郡へ移管され、東京府北多摩郡保谷村上保谷新田となる。

1940年(昭和15年)11月10日
保谷村が町制を施行し、東京府北多摩郡保谷町上保谷新田となる。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都制施行により東京都北多摩郡保谷町上保谷新田となる。

1967年(昭和42年)1月1日
保谷町が市制を施行し保谷市となると同時に、町名整理を実施。 上保谷新田の一部に上保谷の一部を合わせて東伏見が設置される(住居表示実施は同年5月1日)。
保谷新田の一部に上保谷の一部を合わせて柳沢が設置される(住居表示実施は同年5月1日)。
保谷新田の残存部をもって新町が設置され、同時に住居表示実施。

2001年(平成13年)1月21日
保谷市田無市が合併し西東京市が発足。西東京市新町となる。

 

現在の新町地区は、ほぼ江戸時代の「上保谷新田」のエリアにあたる。 江戸時代中期の18世紀前半、疲弊した幕府財政を再建すべく享保の改革を断行した八代将軍徳川吉宗は、増収策として武蔵野台地の新田開発を奨励した。 「上保谷新田」もそのとき開かれた新田のひとつで、上保谷村の平井伊左衛門が開発にあたった。 南に位置する玉川上水千川上水に何ヶ所か取水口を設け、決まった水量の分水を受けて水田を開発したため、上水路に沿って東西に細長い区画の田んぼになった。 上保谷新田はその後も発展して人口も増え、江戸時代末期には上保谷村から「分村」して独立している。 しかし明治の市制・町村制実施時1889年(明治22年)に、上保谷新田は「本村」の上保谷村および下保谷村と一緒に「保谷村」に属することになった。 

 

多摩湖自転車道の紅葉

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保谷市の置き土産、忘れ物

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2001年(平成13年)に西東京市になったばかりなので、これ以外にも残っていると思われる。