発見日 2021年12月11日
発見場所 東京都西東京市南町3丁目
田無市の歴史
1878年(明治11年)7月22日
北多摩郡に編入される。
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、田無町が発足。
1893年(明治26年)
北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所属となる。
1943年(昭和18年)7月1日
東京都制施行により東京都の所属となる。
1967年(昭和42年)1月1日
市制を施行し、田無市となる。
2001年(平成13年)1月21日
保谷市と合併し、西東京市が発足。同日田無市廃止。
向台の歴史
明治初期に字向台が分割され、西部が字上向台、東部が字下向台になった
1879年(明治12年)5月7日
郡区町村編制法下で田無村が町制施行し、神奈川県北多摩郡田無町字上向台・字下向台となる。
1889年(明治22年) 4月1日
町村制施行に伴い田無町が単独立町。大字は設置されず、神奈川県北多摩郡田無町字上向台・字下向台のままとなる。
1893年(明治26年)4月1日
北多摩郡・南多摩郡・西多摩郡が東京府に移管され、東京府北多摩郡田無町字上向台・字下向台となる。
1943年(昭和18年)7月1日
東京都制施行により、東京都北多摩郡田無町字上向台・字下向台となる。
1967年(昭和42年) 1月1日
田無町が市制施行し、東京都田無市字上向台・字下向台となる。
1967年(昭和42年)10月1日
住居表示実施に伴い、字下向台の一部に字上宿・字下宿・字南芝久保・字柳沢の各一部を合わせて南町が設置される。
1968年(昭和43年)9月1日
住居表示実施に伴い、字上向台の全部・字下向台の残存部に字柳沢の一部を合わせて向台町が設置される。
2001年(平成13年)1月21日
田無市と保谷市の合併により、西東京市向台町となる。
地名の由来
田無の地名は、1559年(永禄2年)の後北条家の文書に確認されたものが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かる。そのため地名の由来は定かではなく、いくつかの説がある。
1.田んぼが無かったという説
2.棚瀬の読みが「たなし」に変化し、田無の字があてられた説
3.田成の表記が田無に変化した説
4.種なしが変化し田無になった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種籾)までとられてしまうため、周囲の村から「種なしの村」と呼ばれたという。
1の説に対しては、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無いこと、2と3の説では、途中で意味が正反対に変わっていること、4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、いずれも決め手に欠け、定説とはなっていない。
田無市の置き土産、忘れ物