今日(2021年12月21日)の東京の天気は、一日中晴れで、最高気温15.2℃、風もほとんどなく、探索日和の冬の一日だった。
少し厚着をしていたので、汗ばむくらいだった。
事前準備
目撃情報の旧町名を頼りに、事前調査を開始した。
番地を頼りに、東京三十五区時代の渋谷区の古地図を開く。
現代地図と照らし合わせ、おおよその所在地を確認する。
戦前の道路と現代の道路は異なっていることが多く、所在地を特定することは難しい。
この目撃情報には設置されている建物の情報があったので、ストリートビューで探してみる。
しかし、この建物を見つけることができなかった。
こうなると現地で地道に探すしかない。
杉並区のように新旧対比表があれば、探しやすいのだが、渋谷区には存在していない。
探索当日
一応2か所くらい目星をつけていたので、探索開始。
1か所目が見つからなかったので、常識的には2か所目に向かうのだが、そのことをすっかり忘れ、無謀にもローラー作戦を開始してしまった。
元々西原2丁目が対象だったのが、西原3丁目まで対象範囲を広げてしまった。
この辺りの地形は起伏に富んでおり、坂が多い。西側は狼谷と呼ばれる窪地になっている。
当然、坂道のアップダウンに悩まされ、工事中のところもあり、回り道をすることになる。
でも、時間がかかったが、ようやく発見することができた。
目撃情報がなかったら、この旧町名は、自分一人では、絶対見つけられなかっただろう場所にあった。
発見日 2021年12月21日
発見場所 東京都渋谷区西原2丁目
歴史
1961年(昭和36年)11月15日
町名地番改正により、代々木西原町のほぼ全域と、代々木初台町・代々木新町・代々木上原町・代々木新町の一部をもって西原1~3丁目が成立。
1963年(昭和38年)7月1日
代々木西原町(全部)・代々木大山町(一部)より大山町が成立。
地名の由来
西原は古来より代々木地域に属し、代々木村の一地名であった。代々木村の中心地であった代々木本町から見て西に位置する畑地帯であったので西原の地名となったとも考えられている。
女優の吉永小百合さんの著書「旅に夢みる」に「私が生まれたところは、東京都渋谷区代々木西原町一〇〇六番地です。
小田急線の代々木上原駅と代々木八幡駅、そして京王線の幡ヶ谷駅を結んだ三角形のほぼ真ん中あたりでしょうか。
戦争が終わる年の三月、大きな被害の出た東京大空襲の三日後に産声をあげました。」とある。
この表札がある住宅の近くだったんだ。
今はどうなっているのだろう?
玉川上水旧水路 幡ヶ谷緑道沿いの木に飾りがしてあったので、近寄ってみた。
何の木だ?
菩提樹礼拝の習慣
相生橋(あいおいばし)
左に見える木が菩提樹だ。
古い石の欄干は風化し削られ、「あいおいばし」という文字が消えかかっている。
この橋は「大正十三年十一月」に架けられた。
民家の塀に設置されていた。
読者の皆さんはどう解釈するだろうか?