御訪問者の皆様、新年あけましておめでとうございます。
今年も当ブログをよろしくお願いいたします。
今年最初の記事は、庚申塔だ。
地味な記事だとお思いのあなた。
確かにそうだ。
基本的にマイナーなもの(マニアにとってはメジャーなものかもしれないが)を旧町名を中心に雑多に幅広く取り扱うことにしている当ブログなので、ご勘弁を。
庚申塔は、探索途中によく見かけていて、見かけるたびに写真は撮っていたので、過去の写真も数多くあるのだが、あるから撮っていたという感じだった。
しかし、最近は、今更であるが、いろいろな形の庚申塔があることに気が付き、興味を持ち始めてきた。
埼玉県の庚申塔を中心に紹介されている「私家版さいたまの石仏」さんが2013年にブログを開設されてから約8年で驚異の110万アクセスと、興味をお持ちの方が多いことが分かる。
今回紹介する庚申塔は、存在を知っていて訪れたわけではなく、いつものように、探索途中に見つけたものだ。
発見日はすべて2022年1月1日だ。
えっ!
新年早々から活動しているのか!
と言う声が聞こえそうだ。
諸事情により、イオンモール与野店を起点にして、さいたま市西区プラザ周辺を目標に探索を開始した。
最低気温マイナス4℃、最高気温7℃と風が強く寒い日だった。
出会ったときは、庚申塔があったので、撮っておこうくらいの感じだった。
しかし、帰ってから調べてみると、ユニークな点がそれぞれある庚申塔であることが分かった。
紙パックの日本酒だけが供えられていた。
右側
1714年(正徳4年)造立の庚申塔
唐破風笠付角柱型
日月
六臂(六つの腕を持っている)の青面金剛(しょうめんこんごう)立像
右手に剣、左手に髑髏を持っている。
建立されてから400年以上経過しているが、比較的風化が少ない。
髑髏?小さくて見えない?
現地に訪問し、自分の目で確認していただこう。
髑髏は、頭に頂いているものや首飾りになっているものはあるが、手に持っている庚申塔は調べた限り、全国的にもあまり存在していないようだ。
ちなみに、千葉県我孫子市柴崎737にある柴崎神社の庚申塔は左手に3つのドクロを持っているそうだ。
訪問して自分の目で確認しに行きたくなってたまらなくなったのではないだろうか?
そうなったアナタ、立派なマニアの一員です。
庚申塔と髑髏の関係を調べてみたが、わからなかった。
足元にはひざまづき、顔だけを正面に向ける邪鬼がいる。邪鬼の髪形は中央で分けられている。
このようにユニークな邪気の姿もあるようで、今後は邪気も注目していきたい。
その下には正面向きの「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿がいる。中央の聞かざるの右腕が一部欠け落ちている。
正面 右「天下」左「泰平」
右側面 「正徳四甲午天三月吉日」
左側面 「武列足立郡櫛引村中」
青面金剛(しょうめんこんごう)
「三眼の憤怒相で四臂、それぞれの手に、三叉戟(三又になった矛のような法具)、棒、法輪、羂索(綱)を持ち、足下に二匹の邪鬼を踏まえ、両脇に二童子と四鬼神を伴う」姿で現されるが、一般には、足元に邪鬼を踏みつけ、六臂(二・四・八臂の場合もある)で法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多い。 頭髪の間で蛇がとぐろを巻いていたり、手や足に巻き付いている場合もある。また、どくろを首や胸に掛けた像も見られる。
仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られているものがある。
左側
1834年(天保5年)造立角柱型「馬頭観世音」
右側面 「天保五年甲午三月吉日」
左側面 「武列足立郡櫛引村」
左側面の下部 「願主」
「馬持中」「惣村中」
②大倭神社の庚申塔(おおやまとじんじゃのこうしんとう)
今回のメインはこちらの庚申塔である。
こちらはさいたま市三大庚申塔といわれている「三橋の大倭神社の庚申塔」である。
他のふたつは「指扇領辻の庚申塔(さいたま市西区大字指扇領辻)」「三室の庚申塔(通称さるまん塚)(さいたま市緑区大字三室)」。
発見場所 埼玉県さいたま市西区三橋6-411付近
市指定有形民俗文化財
指定年月日 昭和48年1月5日
寸法 256.0×104.0×115.0cm
邪鬼に坐した丸彫りの青面金剛像が笠付角柱の上に乗った、高さ256センチメートルの庚申塔です。享保6年(1721年)に立てられたもので、角柱の塔身の上部に梵字で「ウーン(青面金剛種子)」を刻み、その下に力士と思われる像に担がれた二童子を、台石には二鶏と三猿を浮き彫りで表現しています。
「辻の庚申塔」と並ぶ大型のもので、笠付角柱の上に青面金剛像が坐すという、市内でもあまり例のない形の庚申塔です。(さいたま市ホームぺージより)
大倭神社の庚申塔の説明版
『大宮市指定有形民俗文化財 大倭神社の庚申塔
所在地 大宮市三橋六-四一一
指 定 昭和四十八年一月五日
この辺りは江戸時代には上下内野村と呼ばれていた地域で、ここには村の鎮守である氷川神社が祀られています。明治四十年に村内の社を合祀し、同四十三年に社名を大倭神社と変更、現在に至っています。
平安時代頃から宮中で行われていた庚申信仰は、江戸時代になって庶民の間に広まります。六十日に一回の庚申の日に寄り合い信仰を行いますが、心づくしの料理を持ち寄っての庚申信仰は大きな楽しみでもあったことでしょう。この庚申塔は、江戸時代中期の享保六年(1721)三月に当村上組の人々により造立されたもので、二五六cmの高さ、造形美などで市内で最も優れた庚申塔です。青面金剛像が傘の上に坐し、塔身中央には愛らしい二童子が彫られています。
現在は、氏子総代が年末に注連縄を張り替え、お守りされています。将来にわたり伝えていきたい庚申塔です。
昭和六十三年三月』
最上部の蓮台の上の青面金剛像
六臂像で上の腕の一部が欠けているが彫りは全体によく残っている。
目を吊り上げ、口をへの字にして、合掌しながら正面を睨みつけている。
組み敷かれた邪鬼が青面金剛と同じような顔つきで凄んでいるようにも見える。
力士と思われる像に担がれた二童子
梵字「ウーン」の下に力士と思われる像が二童子に踏まれているというよりは支えているように見える。
屈強な腕と胸部、腰には化粧まわしのような布らしい彫刻がある。
大宮市の解説板には「童子」となっているが、髪型や着物を見ると「童子」というより女性に見えないだろうか。
向かって右側の女性は植物の枝らしき物を持ち、左手の女性は何か丸い物を持っているように見える。
左側側面
右側側面
奉造立庚申供養塔
発見場所 埼玉県さいたま市西区指扇2318付近
造立1726年(享保11年)
笠付角柱型。
六臂の青面金剛立像。
剣、ショケラ持ち。
上部に日月雲。
二鶏、邪鬼、三猿が揃う
ショケラ
髪をつかまれ、ぶら下げられている女人が一般的らしい。
ショケラという物自体知らなかったので、現場ではよく確認しなかったが、写真を見た限りでは、女性には見えない。
でも、何で髪をつかまれ、ぶら下げられているのだろうか?
調べてみたところ、庚申信仰では、”庚申(かのえさる・こうしん)の日の夜に男女が交わると、泥棒の子が生まれる”とその行為を禁じている。つまり、男に欲望を起こさせないように女人の髪を掴んで、懲らしめているということらしい。
また、似たような説になるが、ショケラがいろいろ悪いことをするので、庚申の神様が髪をつかんであばれないように押さえ込んでいる。
右側面年号の下、武州指扇 下郷組 妙光寺とあり10名の名前を刻む。
左側面には泉宝院とあり11名の名前が刻まれている。
今回紹介した庚申塔のユニークな点を整理しておこう。
①ショケラの代わりに髑髏を持っていること。
②童子?が彫られている。
③ショケラが女性ではない?
今後、訪問する機会があったら、それぞれの部分を拡大した写真を撮って、再確認したい。また、庚申塔に出会ったら、確認するために、全体だけでなく、部分も撮っておくことが必要だと思った。
今回の記事を書いている中で、庚申塔について少し勉強ができた。
次回出会った時、視点が違っていることを自分ながら期待している。