本日(2022年1月6日)再訪し、周辺の伊皿子の名称が付くものを撮影してきたので、合わせて紹介しよう。
発見日 2021年1月25日
発見場所 東京都港区高輪1丁目
風化が激しくて文字の判読が難しいが、何とか「伊皿子町」と読める。
このような石の表札は珍しい。何の石だろうか?
「伊皿子」は「いざらこ」ではなく「いさらこ」と読む。
港区旧町名由来版より
変わった地名ですが、江戸時代にはすでに町名となっていました。由来は「更級日記」にある いいさらふ が伊皿子になったという説や、伊皿子(インベイス)というなの明人が住んでいた、など諸説がありますが、定説はありません。町の中央には泉岳寺方面に下る伊皿子坂があります。
1909年10月1日の報知新聞に「芝伊皿子の名の由来」という記事が載っている。概要は、以下の通りだ。
「芝区伊皿子町にあった長応寺は荏原郡に移転することになり、その際、明(中国)からの渡来人の墓が見つかった。江戸初期、長応寺付近には明からの渡来人七人が住み、人々が「エビス」「イビス」と呼んでいたことから一人が自らを「伊皿子(いびす)」と名乗った。伊皿子は1662年に亡くなり、丘の下に葬られた。」
更に、伊皿子が地域の主要人物だったことから寛文年間(一六六二年ごろ)、江戸町奉行の渡辺(綱貞)大隅守が上高輪村の一部を「伊皿子」と命名したとも書いている。
諸説あるということだろう。
伊皿子交差点
伊皿子交差点近くに「松島屋」という大正7年創業の老舗和菓子店がある。人気の大福は豆、草、吉備の3種類。午前中で完売することも多い。
この日は休みだったが、雪の中買いに来た人がいた。
この道はよく探索途中に通る道だが、この店が老舗だとは知らずに、購入したことがあるが、人気通りの味だった。
「伊皿子坂」は、「港区三田四丁目」と「港区高輪二丁目」の間にある。
「中国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりともいいさらふ(・・・・・)(意味不明)の変化ともいう」
伊皿子坂は「潮(汐)見坂」とも呼ばれていた。歌川広重は「東都名所坂づくし」で「伊皿子潮見坂」として描き、永井荷風は「日和下駄(ひよりげた)」で「芝伊皿子台上の汐見坂」の眺望の良さを次のように書いている。
「芝伊皿子台上の潮見坂も、天然の地形と距離との宜しきが為に、品川の御台場依然として昔の名所絵に見る通り道行く人の鼻先に浮べる有様、これに因よってこれを観みれば古来江戸名所に数えらるる地点悉く名ばかりの名所でない事を証するに足りる。」
都営浅草線泉岳寺駅のA2番出入り口を出て、泉岳寺の中門を左に眺めながら通りを北に歩く。なだらかな道が北西に曲がると、ほぼ真っすぐに。ここからが伊皿子坂だ。坂の頂点となる伊皿子交差点まで120mくらい、高低差7mほど。交差点を真っすぐ進むと魚籃(ぎょらん)坂、右に曲がれば聖(ひじり)坂、左に行けば二本榎(えのき)通りと通りの名前が変わる。
港区住居表示案内板
歴史と文化の散歩道
高輪潮の香散歩(伊皿子坂-品川駅1.5Km)
伊皿子の名が付く自治会はいくつかあった。
■伊皿子自治会
三田4丁目9番、18番、19番
■三田伊皿子坂自治会
三田4丁目18番20号ファミールグラン三田伊皿子坂
■伊皿子睦会
高輪1丁目5番
高輪2丁目1番
■伊皿子自治会
高輪2丁目16番、17番
「は は は は」
何だ?
この建物に「医療法人社団吉晟会KISSEI DENTAL CARE」という歯医者があるので、そこの飾りだろう。