2022年1月8日再訪し、現存を確認してきたので、「赤坂福吉町」時代の電力プレートを紹介しよう。
発見日 2021年2月11日
発見場所 東京都港区赤坂2丁目
上部が塗装されてしまっている。
「フフヨシ」に見えるが、「フクヨシ」である。
氷川公園にある赤坂地区旧町名由来版
旧町名部分を拡大したもの
江戸時代初期には、本町の地域には福岡藩黒田家、人吉藩相良家、菰野藩土方家の屋敷がありました。元禄年間(1688~1704年)には土方家屋敷が結城藩水野家の屋敷になりましたが、その後は、変化ありませんでした。
明治5年(1872年)、福岡藩・人吉藩・結城藩の三藩邸を合併して一町とし、福岡藩の福、人吉藩の吉をとって「赤坂福吉町」となりました。福と吉という縁起の良い町名ということで、当時、人々の間で評判であったといわれています。
歴史
1943(昭和18)年7月1日
東京都赤坂区に所属。
1947(昭和22)年3月15日
東京都港区に所属。
1966(昭和41)年7月1日
住居表示の実施により、赤坂二、六丁目に編入となり消滅。
昭和31年の地図