ステンレス製と思われる金属の表札に現町名に併記されている旧町名を見つけた。
発見日 2021年3月11日
発見場所 東京都渋谷区大山町
上段に漢字の旧町名、中段に一番大きな字でローマ字の旧町名、下段にローマ字の現町名と現町名より旧町名の方がメインになっている表札だ。
でも「町」、「cho」が抜けている。
これは、ご愛嬌ということで。
渋谷区の高級邸宅地と言うと、松濤、代官山、南平台、広尾、恵比寿などが有名かもしれないが、かつてこのあたりは『大山園』(渋谷区大山町)として、『松濤園』(渋谷区松濤)、『清風園』(世田谷区代沢)と並ぶ3大高級邸宅地で知られていたそうだ。
歴史
1889年(明治22年)
市制町村制により代々幡村大字代々木字大山成立。
1915年(大正4年)
代々幡町大字代々木字大山成立。
1932年(昭和7年)
渋谷区が制定され、代々木大山町成立。
代々木の冠が付くことになったのは、神泉の北に既に大山町があったため。
1963年(昭和38年)7月1日
代々木大山町の大部分に代々木西原町・代々木上原町のそれぞれ各一部をあわせ、現在の「渋谷区大山町」が誕生した。
神泉の大山町が松濤に併合されたため「大山町」を名乗ることが出来た。
その昔、代々木本村上原の区域内に大山と呼ばれる一帯があった。
民家すら無い、山と見紛うほど鬱蒼とした森だったようだ。
明治初期の頃、農園として所有していたのが維新の三傑として有名な木戸孝允(桂小五郎)だった。
その後、明治政府で日英通商航海条約の調印を務めた外交官である青木周蔵から鈴木善助と所有者が代わり、鈴木善助が大正2年(1913年)一部を7万6,000坪にも及ぶ和風庭園を主とした当時の遊覧施設「大山園」を造り開放した。
それが地名「大山」として記憶されるきっかけになったようだ。
ここは、現在、100億円御殿と呼ばれているユニクロを運営するファーストリテイリングの柳井正・社長兼会長の自宅となっている。
敷地面積が2,600坪、敷地内にゴルフ練習場やテニスコートがあり、延べ床面積も450坪あるそうで想像を絶する広さだ。
この記事を書くために調べていて、思い出した。高い外壁に覆われた豪邸があったことを。その時は、柳井正氏の自宅だとは思わなかった。何かの施設だと思っていた。
2000年、渋谷区から一般競争入札で購入し、2003年に豪邸が完成したそうだ。
大山町はしばしば「徳川山」と呼ばれることもある。これは鈴木善幸が開園した「大山園」の後の所有者が、紀州徳川家第15代当主であり政治家・実業家でもあった徳川頼倫となったためである。
昭和2年(1927年)の小田急線開通後、周囲が高級住宅地として造成されはじめた頃、当時の所有者になっていた山下財閥・山下汽船(現在の商船三井)の創業者である山下亀三郎と箱根土地株式会社(現在のコクド)によって「代々木大山分譲地」として開発された。さらに、1940年には代々木徳川山分譲が開発されている。多くの分譲地には洋風建築の建物が建設されていた。第二次世界大戦後には、爆撃の被害も少なかったことも影響し、アメリカ駐留軍によって多くの建物が接収され、アメリカ軍将校の住宅として用いられていたという過去もあるようだ。