今回は港区赤坂で発見した赤坂新町時代の旧町名と電力プレートを紹介しよう。
港区、文京区、千代田区にはこのような旧町名由来版が設置されているので、旧町名マニアとしては非常にありがたい。
赤坂地区旧町名由来版
町域の大部分は、江戸時代より前には一ツ木村に属していました。町屋が出来たのは、寛永から元禄にかけて(1624~1704)のようで、寛永17年(1640)に、尾張藩徳川光友夫人千代姫御附の侍三名がこの土地を拝領して赤坂新町1丁目と称したのがこの町の起こりです。寛文8年(1668)に町並屋敷の建造が許され、延宝元年(1673)に町奉行支配下となり、その後5丁目まで区分されました。明治時代には1・2丁目と3丁目の一部が繁華な商店街となり、さらに商店は3~5丁目へも伸び、戦前には表通りは商店街を形成していました。
1956年(昭和31年)の地図
①港区赤坂新町
発見日 2022年1月8日
発見場所 東京都港区赤坂5丁目
木製なのでかなり変色してしまって読みにくいが、旧町名「赤坂新町」時代の表札。
どうしても読めないという方は、心で読んでみるとだんだんと文字が目の前に浮かんでくるはずだ。
②港区赤坂新町
発見日 2024年2月3日
発見場所 東京都港区赤坂5丁目
左側に書かれているのだが、①と同様心で読んでもらう必要があるかもしれない。
③シンマチ3-4
発見日 2021年2月8日
発見場所 東京都港区赤坂5丁目
赤坂の繁華街の店舗に設置されている電力プレート。
赤坂新町五丁目町会掲示板
町会も「赤坂新町五丁目町会」と旧町名が残っている。
町会の範囲は、赤坂6-14~6-17、赤坂7-8~7-11となっているようだ。
赤坂7丁目には「赤坂新町五丁目町会」のほかに「赤坂7丁目町会」がある。「赤坂7丁目町会」は赤坂表町三丁目町会と、赤坂臺町町会が約40年前に合併してできた町会だそうだ。
赤坂新町五丁目町会 再建70周年 記念誌準備 まちの記憶記録集めプロジェクト
記念誌ができたら、港区のホームページなどで外部にも公開してくれたらありがたい。