歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

京都市探索記録(2022年1月29日)

2022年1月29日(土)

何故か3時頃目が覚めて、眠れなかった。
仕方ないので、朝食の時間まで予習したことの再確認をする。

ホテルで朝食を済ませ、昨日より早い7時半頃から探索開始。

この日の予定は、仁丹の町名看板探索はサブにしていた。

下京区以外は、調査不足で情報がないので、探索中に見つけたらラッキーと言う感じであった。

瑞音辻子(すいおんのずし・ずいおんのずし)に設置されているはずの新釜座町の木製の町名看板を確認しに行く。この場所は、28日探索済だったが、見落としていた。無事発見。
竹之辻子(たけのずし)にあるはずの匂天神町は発見することができなかった。
後で調べたところ、2021年8月時点では、現存していたようなので、見落としたのかもしれない。

そもそも「辻子」とは何だ?
最初「つじこ」と読んでいた。
「辻子」とは隣の通りまで行ける細い通りのことらしい。
路地と同じではないかと思ったが、京都では、路地は、隣の通りまで行けない小道で、 突き当りが袋小路になっている道のことを言うらしい。

 

鴨川付近にある未訪問の町名看板探索。1枚のみ発見。

 

若宮八幡宮内の鍾馗神社訪問
 別記事で投稿予定

 

何年ぶりだろう、久しぶりに訪問。

9時台で、店も開店前なので、観光客もほとんどいない。コロナの影響もあるのだろうけれど。

三年坂

f:id:citywalk2020:20220130154236j:plain

 

二年坂

f:id:citywalk2020:20220130154207j:plain

 

三年坂を下ったところから見た八坂塔

f:id:citywalk2020:20220130154217j:plain

 

八坂庚申堂訪問
 別記事で投稿予定

 

八坂通から見る八坂塔

f:id:citywalk2020:20220130154227j:plain

 

北木之元町に長い町名の仁丹の町名看板があるらしいので、訪問するが、見つからず。

代わりに商店街を見つけた。

古川町商店街

f:id:citywalk2020:20220130160040j:plain

f:id:citywalk2020:20220130160048j:plain
f:id:citywalk2020:20220130160031j:plain

商店街ホームページより

かつては “京の東の台所”と呼ばれていました。

『京都坊目誌』によれば天正安土桃山時代)以前より若狭街道(通称:鯖街道)として南北に通っており、長い間廃道のまま田畑にされておりましたが、寛文6年(1666年)に復旧され古川町通りとなり、同時に町地に編入され青蓮院領粟田新町13組に属しました。町名の由来は、近くを流れる白川の旧流水路または畑地の字地名によるといわれています。現在も小さな町地が密集しており、通りの中心部に古川町があり、北に分木町・八軒町・南西海子町、南に唐戸鼻町・稲荷町があります。
文化年間(1804~1817年)以降においては附近に人家が密集して市街地化が急速に進むことになりますが、古くは宝暦12年(1762年)の『京町鑑』によりますと、「古川町通り最古の若狭街道也。此通り三条より知恩院、古門前まで凡五町程の間」と記されています。
若狭街道とは別名「鯖(さば)街道(かいどう)」、海から遠い京の都に日本海水産物福井県小浜から届けたメインルートであり、鯖、甘鯛(京都ではぐじ)、イカやカレイなどが京都市中に届けられました。大陸の表玄関であった若狭から、大陸や朝鮮の文化が京都や奈良に伝えられた重要な道でもありました。「京は遠ても十八里」と言われていました。 現在の商店街北入口と交差する三条通はかつての東海道であり、京都の表玄関として交通の要点で、知恩院、八坂神社、清水寺への参道として人の往来が盛んでした。知恩院門前町として東は大津、山科、北は北白川、八瀬、鞍馬方面よりの来客があり、繁盛を極めました。 主に食料品、日用必需品をあきない、明治以降も同様に繁盛しましたが、周辺居住地域の開発と共に次第に商圏は狭まれました。


TVや映画のロケや雑誌の撮影地としても人気です。

現在の商店街は、京都らしい趣の残る商店街ということが再評価され、TVや映画のロケ地として、また雑誌の撮影など頻繁に利用されています。また、インスタグラムの撮影スポットとしても人気が高まっています。アーケードから吊り下げられた1,000個の「パステルランタン」が独特の雰囲気を醸し出していることから、アマチュアカメラマンたちも全国から訪れています。 約220mにわたって約40店が営業しており、新しい店舗も次々とオープンしています。

 

四条河原町周辺をリベンジで探索するも、やはりほとんど見つからず、見たものも、新たに発見したものか、前日訪問した時に発見したものか区別がつかくなってしまった。

 

京都市役所に平成版の町名看板を探しに行くが、発見できず。

 

「おいらん京都マラソン」?

さすが、京都と思ったが、違った。

京都市役所に設置されていた「おんらいん京都マラソン2022」の看板。

f:id:citywalk2020:20220130162431j:plain

開催期間が1.22~2.20とはどういうことだ?

開催期間中にエントリー種目の距離以上を走行すれば完走となるらしく、42.195kmならエントリーしておけば、今回完走できたのに。残念だ。

 

京極の町を元気に

f:id:citywalk2020:20220130163118j:plain

私たち京極小学校の六年生は,京極学習で、京極のまちの「人と人とのつながりを深める」取り組みをしています。つながりを深めるためには「あいさつをしやすい雰囲気をつくる」とよいのではないかと考え,あいさつ運動を始めました。あいさつをすると地域のいろいろな人たちとつながることができます。そうすることで自分も相手もとてもポカポカした気持ちになることができ,みんなで助け合うことができます。学校の周辺にもポスターを貼っているので見てください。(京極小学校ホームページより)

 

京都市上京区表町、今出川通寺町の交差点北東角の歩道にある道標兼几号水準点訪問。
 別記事で投稿予定

 

上柳原町に木製の町名看板を探しに行く。
見つからず。
調べたところ、建物は解体されており、消滅していたようだ。

 

慈眼庵町に木製の町名看板を探しに行く。
こんなところに路地があったんだというようなところを入っていく。
あった!
でも、どう見ても本物には見えない、レプリカか?
木製の町名看板については特集記事を投稿予定。

 

佐々木酒造

f:id:citywalk2020:20220130164654j:plain

ご存じの方も多いと思うが、俳優の佐々木蔵之介さんの実家だ、
ここにも「上京區椹木町通智惠光院東入西院町」の町名看板があったのだが、見落としてしまった。
この看板はネットオークションで購入した女性が、京都仁丹樂會に寄付し、それが佐々木酒造に設置されたものらしい。

 

東魚屋町にある入山とうふ店に木製の町名看板を確認しにいく。
店の上の方に無事現存していることを確認できた。

 

これでこの日の目的は達成できたので、付近を探索しながら、二条駅へ向かう。

スマホのバッテリー残量2%とぎりぎりで探索を終えたのだった。

数え違いがあるかもしれないが、この日の仁丹の町名看板収集枚数31枚。

3日間の合計は143枚、残存枚数の約5分の1ということになる。

帰りは17:39の新幹線だった。
がたいがいい人達が先客で乗っていた。
名古屋駅で降りたが、TOYOTA の文字が見えたので、ラクビーか何かの選手たちだろうか?

スマホの残量が気になった。
横浜駅でふと窓の下を見ると電源があるのに気が付いた。
いまさらと言うかようやくと言うか、遅すぎだ。
でも気が付いてよかった。

 

この日の総歩数   42,800歩(スギサポ:47,172歩)
順位        71位/21,567

 

天気   曇時々晴

最低気温 1.5

最高気温 9.6

 

次訪問できるのはいつになるかわからないが、今回確認したものの整理と、まだ確認できていないものの所在地を確認しておき、いつでも行けるように準備をしておきたい。