歩・探・見・感

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旧町名 足立区島根町&東島根町

今回は足立区島根町と東島根町を紹介しよう。

①足立区島根町

発見日  2022年1月31日 

発見場所 東京都足立区梅島3丁目

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歴史

1889年5月1日
東京府南足立郡島根村が周辺の村と合併し、梅島村が誕生。梅島村大字島根となる。

1932年10月1日
南足立郡東京市足立区となる。島根は島根町とされる。

1934年4月1日
島根町国道4号以東の地域が東島根町とされる。

1965年1月1日
島根町の一部に住居表示が実施され、梅田七丁目に編入される。

1966年4月1日
島根町の環七通り以南の地域に住居表示が実施され、梅島一~三丁目が設置される。

1967年5月1日
島根町の大部分と東島根町・小右衛門町・栗原町・東栗原町の一部に住居表示が実施され、島根一~四丁目が設置される。同日、島根町の一部に住居表示が実施され、六月一・二丁目に編入される。

1971年8月1日
栗原町の一部に住居表示が実施され、島根四丁目に編入される。現在の町域が成立。

 

足立区のホームページより

鎌倉時代のはじめ、常陸国(ひたちのくに)(現 茨城県)の武家多気義幹(たけ(き)よしもと)は陰謀にあって失脚し、鎌倉から常陸に帰る途中(現 足立区付近)で亡くなりました。埋葬は側近であった島根という名の家臣らが行い、この家臣が住んだところを島根というようになったといわれています(「吾妻鑑要目集成(あづまかがみようもくしゅうせい)」より)。

 

町会名などに「島根」の旧地名が残っている。

 

島根町

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②足立区東島根町

発見日  2022年2月3日 

発見場所 東京都足立区中央本町4丁目

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旧島根村(足立区成立以後の島根町)のうち、国道4号線以東は後に東島根町とされたが、住居表示の実施によって平野・中央本町・青井などに編入されて地名としての東島根町は消滅した。

 

中学校や歩道橋などに「東島根町」の旧地名が残っている。

 

東島根中学校

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開校記念日    昭和35年9月17日

【通学区域】
・東六月町全域
・一ツ家一丁目全域
・一ツ家二丁目全域
・平野一丁目全域
・平野二丁目全域
・平野三丁目全域
保塚町全域
・六町二丁目全域
・六町三丁目全域

 

島根町歩道橋

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