歩・探・見・感

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鍾馗神社&若宮八幡宮社 京都府京都市東山区

元々存在自体を知らなかったので、訪問する予定はなかった。
京都市で多くの鍾馗さんを見て、鍾馗さんについて調べていたところ、鍾馗神社の存在を知り、是非訪問したいと思った。

鍾馗神社は若宮八幡宮社末社のひとつで境内に祀られている。

 

訪問日 2022年1月29日

所在地 京都府京都市東山区五条橋東五丁目480

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神様のお住まいとしては、お社が少しお粗末ではないかと感じるのは、自分だけだろうか。
2014年頃の写真を見ると、お社がなく、雨ざらしだった。
それに比べると、よくはなっているが・・・。

御神体は、鬼門に位置する方角、北東に向けて安置されている。
鬼門は、陰陽道では鬼が出入りする方角とされている。
鬼を退治した鍾馗さんを置いて、災い除けにしているのだろう。

 

鍾馗

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でかい!
約140cmあるそうだ。

 

鍾馗

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吽形。への口になっている。       阿形。口を開けている。

鍾馗神社 由緒

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鍾馗(しょうき)は主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神である。唐の玄宗皇帝が病の床につき、夢の中で現れる鬼に悩まされていた。その夢の中で鍾馗が鬼を退治するのを見る。玄宗皇帝が正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて自殺した。だが高祖皇帝(唐の初代皇帝)が手厚く葬ってくれたので恩に報いるためにやってきた。」と告げた。夢から覚めた玄宗皇帝は病が治っていることに気づき、夢で見た鍾馗の姿を絵師に描かせ、疫病除けや受験の神様として定めたという説話がある。
日本では小さな民間信仰のひとつとして主に京都や奈良の町屋、一階の上の中屋根に置かれているところが多くみられ、向かい合わせの鬼瓦や同じ鍾馗から弾かれた災いなどをはね返し家を守っている。
疱瘡(天然痘)除けとして江戸中期には、顔を赤く塗られた鍾馗もあった。現在では家を守る以外に学業成就、鍾馗に退治された鬼を「貧乏神」になぞらえ、貧乏除けの神として信仰するところもある。
若宮八幡宮には、陶祖人・椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が祀られている陶器神社があり、瓦からできている鍾馗も同じ焼き物であることから、京都市内唯一の場所として若宮八幡宮宮司の協力のもと建立された。御神体鍾馗は災い除けとして鬼門の方向である北東に向けて安置されている。
 京都市東山区ではたくさんの鍾馗が家、まちを守っているが、同じくまちを守る地蔵には地蔵盆があるのになぜ鍾馗にはそのような感謝する祭事がないのか、この素朴な疑問から始まり、鍾馗を正式に神格化して感謝する神社、そして鍾馗祭りが実施された。

二〇一三年一二月一日 建立 
建立者   京都造形芸術大学 芸術学部 教授 関本徹生

御神体制作 京都造形芸術大学 美術工芸学科四年(当時)吉田瑞希

 

ここからは京都市内で見つけた鍾馗さんを紹介しよう。

埼玉県内では中山道日光街道の旧宿場町である春日部市上尾市などでも見かけることがあるが、数えるほどである。
それに比べ、京都市では、探さなくてもあちこちに設置されており、総数はどのくらいになるのだろう。
調べたところ、京都全体では商店、住宅街を問わずおよそ3000体あると言われているらしい。
こんなに多くの鍾馗さんが現存しているとは、驚きだった。
もっと見かけたのだが、スマホのバッテリーが気になり、撮ったのはほんの一部で、数えたら22体だった。

鍾馗さんは一階の上の中屋根に置かれているところが多くみられ、向かい合わせの鬼瓦や同じ鍾馗から弾かれた災いなどをはね返し家を守っている。

 

老舗陶器店「陶点睛かわさき」の鍾馗さん

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陶器店ならではの白い陶器の急須を持った、独特のスタイルの鍾馗さん

 

京都市内で見かけた様々な表情や恰好をした鍾馗さん達

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江戸時代の文化文政期の文献のなかに、次のようなエピソードが残っている。三条の薬屋が屋根に大きな鬼瓦を取り付けたところ、向かいの家の女房がそれを見て寝込んでしまった。取り外してくれと頼んだが断られ、対抗策として、鬼に勝つ鍾馗さんを瓦屋に作らせて屋根に乗せたところ、女房の病気が全快した。これが庶民の間で広まっていったそうだ。

もうひとつの理由は、京の街にはお寺が多い。お寺はその霊力や魔除けの鬼瓦で悪鬼などを跳ね返してしまうので、はね返された鬼が一般の家に入って来てしまう。そこで、鍾馗さんを屋根に乗せ、鬼から守ってもらおうと、京の街では家の屋根に乗せるのが流行っていったそうだ。

京都中心に鍾馗さんがこれほど広まったのは、向かいの家が鍾馗さんを上げると黙って自分の家にも上げるという京都人の気質も関係するらしい。

向かいの家の屋根にも鍾馗さんが立っている時は、互いの視線が合わないよう、少し身体を斜めにしている鍾馗さんもいる。

さらに調べていると小沢正樹著「鍾馗さんを探せ!!」(淡交社刊)という本が出版されていた。
京都市内を中心に、約190体の写真と所在地が地図入りで紹介してあるそうだ。
小沢さんは全国に存在する約9,800体の鍾馗さんを撮影し記録しているらしい。

微笑み返しのお多福さん

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お多福(おたふく)さんとは、ほっぺたが丸い鼻の低い女性の顔や仮面のことを言い、お多福と書くことから福が多いということで縁起がよいとされてる。

ご近所の鍾馗さん同志がにらみ合うということも多かったようで、微笑み返しとしての「お多福さん」を鍾馗さんの対面に据えたりした。

 

こういうのも屋根に飾ってあった。

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銅板で作られた折り鶴。

最後に若宮八幡宮社の一部を紹介しておこう。
「いつまでも美しく、身も心も美しくなれる」がキャッチコピーらしい。

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御由緒(若宮八幡宮社ホームページより)

平安時代の天喜元年(1053)に後冷泉天皇の勅願により、源頼義が六条醒ヶ井(現在の西本願寺の北東辺り)に創建したのが当社の始まりと伝えられ、当初は六條八幡、左女牛八幡(さめがいはちまん)とも呼ばれた。源氏一族や武士からの信仰が厚く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め、隆盛を極めた。その後、応仁の乱により荒廃し、社地を転々として慶長10年(605)に五条坂のほぼ中央に当たる当地に移された。

現在の社殿は承応3年(1654)に再建されたものである。
 昭和24年(1949)に右の相殿に陶祖神の椎根津彦命が合祀されたことから「陶器神社」としても知られている。
 毎年8月7日から10日までの4日間、若宮祭とともに陶器祭が行われ、五条坂一帯で盛大に開催される陶器市は多くの人でにぎわう。

 

境内に色々あったのだが、メインは鍾馗神社だったので、あまり写真を撮らなかった。境内の中で一番気になったのがこれだ。

蓬莱石

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何故かカエルのお賽銭箱が置かれていた。

いや、カエルのお賽銭箱が一番気になったわけではない。

もちろん、蓬莱石だ。

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蓬莱石の由緒

若宮八幡神祠に一奇石あり其の名を蓬莱という。足利尊氏将軍かねてより若宮の神を深く信仰せしが病悩にかかりし折、特に立願せられ、病癒えこれを祝して珍宝七種を献じ敬謝せり。この石は其の一つ也。
その形勢巨鼈(べつ)の如し。戴山蓬莱の石、良に以あるなり。云々(蓬莱山は勃海の東に峙ち神仙不死の薬ありと故事にあり)・・・・必ず神霊は之を(お加護)英士に与えるものなり・・・
即ちこの蓬莱石には不思議な御新徳御加護のある貴重な宝石である。
この蓬莱石は御本殿の片隅に埋もれていたものが最近御神託により発見され、約650年振りに世に出されたもので御神威新たかな石である。

 

「蓬莱石」は遠赤外線を放出する石として知られており、保温性が高く、美肌と健康に非常に効果があると言われている。