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日本水準原点標庫&一等水準点&電子基準点 東京都千代田区

千代田区の几号水準点を調べていたところ、国会前庭洋式庭園内にいくつかの水準点があることがわかった。

以前桜がきれいに咲く季節に訪問したことがあったが、その頃はこのようなものに全く興味がなかったので、気にも留めていなかった。

今回、皇居付近の几号水準点の探索途中に立ち寄ってみた。

 

撮影日  2022年2月12、14、15日

撮影場所 東京地千代田区永田町一丁目

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日本水準原点標庫

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明治24年5月に、大日本帝国陸軍参謀本部陸地測量部の庭園であった現在地に設置された。
現在も使用されている公的建造物において「大日本帝国」号を残している建造物としてもとても貴重なものだ。

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「近代測量150年」の節目の年となる令和元年12月27日付けで測量分野の建造物として初めて国の重要文化財に指定された。

 

また、日本水準原点日本水準原点標庫は「令和元年度土木学会選奨土木遺産」に認定された。

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認定理由
日本水準原点日本水準原点標庫は、日本の高さ(標高)の基準として明治24年に陸地測量部により創設された原点標とそれを保護するための建築史上貴重な石造施設であります。 

 

日本水準原点

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日本水準原点

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日本水準原点
日本水準原点は、我が国の土地の標高を測定する基準となる店である。明治24年(1891)5月にこの場所に設置した。
日本水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心である。その標高は明治6年から12年までの東京湾の潮位観測による平均海面から測定したもので、24.500メートルと定めた。
その後、大正12年(1923年)の関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140メートルに改正したが、平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24ミリメートル沈下したため、新たに24.3900メートルに改正した。
平成23年10月21日
国土地理院 

1893年設置時     24.5000m
1923年関東大震災後  24.4140m
2011年東日本大震災後 24.3900m

となっており、だんだん東京は沈んでいることになる。

 

右書きで「水準原点」と刻まれているが、読めるだろうか?

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菊の御紋の入った正面扉の中に「日本水準原点」がある。
年に一度、 測量の日(6月3日)近くに一般公開されるそうだ。

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一等水準点 甲(こう)

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「一等水準点 甲」から「日本水準原点標庫」を臨む。

原点標庫の正面の花壇のエリアにある。

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一等水準点  乙(おつ)

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「一等水準点 乙」から「日本水準原点標庫」を臨む。

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水準原点から見て左手、東の植え込みの中にある。

 

一等水準点  丙(へい)

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「一等水準点 丙」から「日本水準原点標庫」を臨む。

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原点から見て右手の舗道上にある。

 

一等水準点 丁(てい)

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「丁」の一等水準点は地上に顔を出している。

「一等水準点 丁」から「日本水準原点標庫」を臨む。

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水準原点標庫の東南の下がったところにある。

左(南面) 一等水準点

右(東面) 基本

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左(西面) 地理調

右(北面) No.丁

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上部

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一等水準点 戊(ぼ)

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「一等水準点 戊」から「日本水準原点標庫」を臨む。

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原点からすこし離れており、憲政会館のレストラン前の植え込みの中にある。

「甲乙丙丁」までは知っているが、「戊」は何と読むのかわからなかった。
「戌(いぬ)」の字と似ている。
「ぼ」だった。

東京都には6点の基準水準点が定められており、基準水準点は水準原点の次に重要な水準点で、ここにある甲~戊の5点は、基準水準点だそうだ。
残りの1点は、八王子にあり、高尾山口駅から出た京王高尾線が、トンネルに入る直前の左側にあるらしい。

水準原点に近い甲・乙・丙の3基は「附属標石」の名称で重文に附指定されている。
丁以外の一等水準点は鉄蓋が被せられており、通常は非公開。

鉄蓋のフォントを調べている方がいた。【甲】と【戊】の鉄蓋のフォントは、ゴシック体で、【乙】と【丙】の鉄蓋のフォントは明朝体だそうだ。
こんなところまで、気が付かなかった。

 

電子基準点「東京千代田」
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国土交通省 国土地理院ホームページより

都心初!電子基準点を国会前庭に設置

- 宇宙から高さの原点を見守ります -

発表日時:2018年3月22日(木) 14時00分

国土地理院は、国会前庭にある「日本水準原点」の隣に、電子基準点「東京千代田」を設置し、3月26日から、準天頂衛星システム(みちびき)やGPSなどの観測を始めます。都心での測量が効率化するとともに、全国の標高の基準である日本水準原点の変動をモニターできるようになり、大きな地殻変動が生じた場合でも円滑な測量が可能になります。

   1.電子基準点は全国に1,300箇所設置され、東京23区では「足立」、「練馬」、「世田谷」にありますが、今まで都心にはありませんでした。今回の千代田区永田町への設置により、都心で電子基準点を用いる測量の観測時間を半減できるなど、測量の効率化が可能となります。
2.社会基盤の海外展開の一つとして電子基準点への関心が高まっています。都心の交通の便の良さを生かし、来日した関係者に対する、電子基準点のショーケースにもなります。
3.電子基準点「東京千代田」は、我が国の標高の基準となっている「日本水準原点」と同じ地盤に設置されており、その変動を衛星測位でモニターできます。万一、首都直下地震等によって都心の標高が変わっても、衛星測位により従来の水準測量より遙かに早く変動量を把握でき、その後の測量が円滑に進みます。

 

一等水準点のそばにあった江戸の名水「櫻の井」

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中をのぞいてみたら、石が並べてあった。

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東京都指定旧跡
江戸の名水「櫻の井」
「櫻の井」は名水井戸として知られた「江戸の名所」で、近江・彦根藩井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、ここは加藤清正邸跡(都旧跡)で、清正が掘ったと伝えられている。3連式釣瓶井戸で、縦約1.8メートル、横約3メートルの石垣で組んだ大井戸で3本の釣瓶を下ろし、一度に桶3杯の水が汲め、幕末当時江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供し、重宝がられた。
江戸名所図会に絵入りで紹介され、歌川(安藤)広重の「東都名所」の「外櫻田弁慶櫻の井」(天保14年(1843))(図)にも描かれている。安政7年(1860)3月3日には大老井伊直弼がこの井戸の脇から登城中、暗殺された。
大正7年(1918)史跡に定められ、東京都は昭和30年(1955)旧跡指定。
昭和43年(1968)道路工事のため交差点内から原形のまま10メートル離れた現在地に移設復元された。
 平成19年(2007)彦根城築城
 400年祭と東京金亀会設立90周年に記す
     平成19年10月
       東京金亀会
       (滋賀県彦根中学校・彦根東高等学校同窓会)
       東京都教育委員会

加藤清正が掘った井戸というと、パワースポットとして名高い、明治神宮の御苑にある「清正の井」が有名だ。
でもこの「櫻の井」は、今も現役で湧き出ている「清正の井」と違って、井戸の跡なのが残念だ。

 

公園の隣が憲政記念館だ。

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憲政記念館は建替えされるようだ。

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憲政記念館ホームページより

憲政記念館は、1960年(昭和35)に憲政の功労者である尾崎行雄を記念して、 尾崎行雄記念財団によって尾崎記念会館が建設され、 衆議院に寄贈されました。その後、1970年(昭和45)にわが国が議会開設80年を迎えたのを記念して、議会制民主主義についての一般の認識を深めることを目的として設立され、1972年(昭和47)3月に開館しました。
  当館のある高台は、江戸時代の初めには加藤清正が屋敷を建て、その後彦根藩上屋敷となり、幕末には藩主であり、時の大老でもあった井伊直弼が居住し、後に明治時代になってからは参謀本部陸軍省がおかれ、 1952年(昭和27)にこの土地は衆議院の所管となりました。

 

尾崎行雄

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憲政記念館入口に「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄銅像があります。水をたたえた池には鯉たちがゆったりと泳いでいます。 

 

「人生の本舞台」石碑

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この記念碑は、尾崎記念会館(現 憲政記念館)設立の際、スウェーデンから寄贈された花崗岩(幅3.6m・高さ1.3m)て製作され、「憲政の神様」と称えられた尾崎行雄の句が刻まれている。

  人生の本舞台は常に将来に在り
          九四翁行雄

  「現在なしていることは、すべて将来に備えてのことてある」という意味で昭和8年(1933)秋、寸暇を得て郷里三重県に帰った尾崎行雄は、自邸に落ち着き、政争に明げ暮れた、76年間を振り返り、「老成に安んせず将来に目を向けねばならぬ」と自戒を込めてこの警句をつくった晩年の揮こうである。

 

左 仮議事堂の門柱
右 英国議事堂の飾り石

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記念館の入口には、現在の国会議事堂が建設される以前に、霞が関1丁目に建てられた仮議事堂の門柱の頭部と、尾崎行雄記念館の建設を記念して英国政府から贈られた英国国会議事堂で使用されていた飾り石が置かれている。

 

この地の由来

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室町時代の末期、太田道灌がよんだ「わが庵は松ばらつづき海近くふじの高根を軒端のぞ見る」という歌の松原に一角に連なっていたこの地は、江戸時代のはじめ、加藤清正が居住し、寛永年間に井伊家居所となり、明治初頭に及んだ。開国の難衝にあたった井伊直弼もここに住んでいた。明治以降、弾正台ついで参謀本部の所在地となった。この地にあるに日本水準原点は、明治24年に設けられた。昭和27年、この地は衆議院に移管され、35年 憲政の功労者尾崎行雄を記念して ここに浄財で記念館が建設された。

 

時計塔

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時計塔 
 この時計塔は、尾崎記念会館(現 憲政記念館)建設時に、その施設の一環として、塔全面の噴水池・花壇とともに設計され、昭和35年(1960)7月に完成した。 
 三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである。また、塔の高さは、「百尺竿頭一歩を進む」ということわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺(30.3メートル)より高くした31.5メートルに設定された。 
 時計は、時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られたものであったが、現在は国産のものに改修されている。 
 チャイムは、10時・13時・17時・22時の4回鳴動する。これは、衆議院参議院の会議開会時刻と退庁、就寝時を標準にしたもので、その音響は静寂時には5キロメートル周囲に響き渡った。

 

今日(2022年2月14日)は、社会科見学なのか、昼前だったが、小学生たちが弁当を食べていた。
みんな間隔をあけて隣と話もせず食べていたので、何でだろうと思ったら、コロナの影響か。
かわいそうに、でも、先生から見えないところでは、あまり間隔を開けないで、話をしながら、食べている女子がいた。

 

撮影日  2022年2月15日

16時45分頃の時計塔

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夕暮れの国会議事堂

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国会前庭洋式庭園から見た景色

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更新情報
2022年2月15日
一等水準点丁のほかに鉄蓋に埋まっている甲、乙、丙の存在を知り、再訪する。

2022年2月16日
一等水準点戊の存在を知り、再再訪する。
水準点から日本水準原点標庫を見た写真追加。
基準水準点等について追記。
風景写真等追加。