新川に咲く桜の花が満開だった。
発見日 2022年3月19日
発見場所 東京都中央区1丁目
同じ1丁目だが、住居表示施行前のものである。
歴史
昭和6年(1931年)
震災復興にかかる町名整理で新川が住所に用いられた。
新川一丁目 - 浜町、四日市町の一部、南新堀一丁目、富島町
新川二丁目 - 塩町、四日市町の一部、南新堀二丁目、大川端町
1948年(昭和23年)~1949年(昭和24年)
戦災残土の処理のため、新川が埋め立てられ、霊岸島は全域が地続きとなった。
1971年(昭和46年)
住居表示により全域が新川一・二丁目となった。
地名の由来
この地に流れていた新川に由来する。
新川公園から見た月島・佃のタワーマンョン群
何棟あるのだろう?
新川の跡の碑
説明板
新川の跡
所在地 中央区新川一丁目地域
新川は、現在の新川1丁目3番から4番の間で亀島川から分岐し、この碑の付近で隅田川に合流する運河でした。規模は延長約590m、川幅は約11mから約16mと、狭いところと広いところがあり、西から一の橋、二の橋、三の橋の三つの橋が架かっていました。 この新川は、豪商河村瑞賢(ずいけん)が諸国から船で江戸へと運ばれる物資の陸揚げの便宜を図るため、万治3年(1660年)に開さくしたといわれ、一の橋の北詰には瑞賢が屋敷を構えていたと伝えられています。当時、この一帯は数多くの酒問屋が軒を連ね、河岸にたち並ぶ酒蔵の風景は、数多くのさし絵や浮世絵などにも描かれました。 昭和23年(1948年)、新川は埋め立てられましたが、河村瑞賢の功績を後世に伝えるため、昭和28年(1953年)に新川史跡保存会によって、「新川の碑」が建立されました。
地図
新川にあるので、「SHINKAWA」だと思っていたが、「ARAKAWA」だった。
霊岸島の住所プレートの無事を確認してきた。
記事を追加したので、興味がある方は下記をどうぞ。