発見日 2022年3月21日
「北多摩郡久留米町」が小さい文字で2行書き、「大字門前金山」が大きい字で目立っている。
このように書かれている表札は初めて見たかも。
「大字門前金山」は「大字門前字金山」なのだろうか?
「氷川台」の住居表示実施前の町名は、「大字門前」「大字小山」とある。
「金山町」の住居表示実施前の町名は、「大字神山」とある。
1944年~1954年の今昔マップで見ると「門前」と「金山」は別の場所のように見える。
結果、調べてみたがよくわからなかった。
途中立ち寄った門前稲荷のお稲荷様由緒に「~門前といふ長い歴史のある部落の地名も昭和五十四年の市制施行により町名が変わり残念ながらその姿を消してしまった~」と書いてあった。
昭和54年は1979年、市制施行は1970年のはずだが、記述誤りか?
門前の名称は門前氷川神社、門前稲荷神社、門前大橋、門前商友会などに残っている。
東久留米市の歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、門前・神山・落合・小山・南沢・前沢・下里・柳窪・柳窪新田・栗原新田の10村、田無町の飛地を編入して神奈川県北多摩郡久留米村が誕生。
1956年(昭和31年) 8月1日
久留米町として町制施行。北多摩郡の中では最も遅い町制施行であった。
1970年(昭和45年)10月1日
市制施行と同時に自治体名を改称し、東久留米市となる。
東久留米の名前の由来(東久留米市ホームページより)
明治22年(1889)に久留米村が誕生しましたが、その名称は市内を流れる「久留米川」から付けられたというのが一般的な説です。
現在の黒目川は、江戸時代の文献や石碑に「久留目川」・「来目川」・「来梅川」と書かれており、明治政府が編纂した『皇国地誌』には「久留米川」と記されています。
このように、普段親しまれていた川の名前が村名になるほど東久留米は水の豊かな場所なのです。
昭和45年(1970年)に市制が施行されますが、福岡県久留米市と行政的な混同を避けるためや、当時の町民から親しまれていた駅名の「東久留米」を希望する声も多く、現在の市名が決定されました。