昨年発見したものだが、豊栄稲荷神社に庚申塔を探しに行ったついでに再訪してきた。
この旧町名はまだ記事にしていなかったことに気が付いたので、有名なものだと思うが、紹介しよう。
発見日 2021年1月19日(再訪問日 2022年3月15日)
発見場所 東京都渋谷区渋谷3丁目
建物は新しいが、前庭に古い門柱が残されていた。
右側は発見日の夕方だったため、ライトアップされているように感じる。
そこには旧町名「澁谷區金王町」の文字が書かれていた。
旧町名案内
昭和3~41年の大字名・町名。もとは豊多摩郡渋谷町大字青山南町7丁目・大字渋谷宮益町、大字中渋谷字並木・堀之内の各一部で、渋谷町の大字として成立。渋谷氏の居城(渋谷城)跡に鎮座する金王八幡神社にちなんで命名。昭和7年渋谷区の町名になり、同41年現行の渋谷2~3丁目各一部となる。金王八幡宮は渋谷八幡ともいい、江戸八所八幡の1つで、渋谷区内現存の最古の建造物(江戸中期)。境内に金王桜、鎮座の松があり、「しばらくは花の上なる月夜かな」という芭蕉句碑もある。また、渋谷警察署の近辺は渋谷城の濠跡と伝える。
金王八幡宮由緒
金王八幡宮は、寛治6年(皇紀1752年、西暦1092年)渋谷氏の祖・河崎高家により鎮祭され、高家の子重家が鎌倉街道沿いの要所であるこの地に館を構えて居城として以来、渋谷氏の氏神として尊崇されました。渋谷重家には嫡子がなく当神社に祈願をしたところ、大神の御神徳により渋谷金王丸常光のちの土佐坊昌俊を授かりました。金王丸の活躍は平治物語・吾妻鏡などにみられる通りであります。当神社は当初「渋谷八幡宮」と申しておりましたのを、金王丸の名声に因み「金王八幡宮」と称するようになりました。また、境内の金王桜(渋谷区指定天然記念物)は頼朝が金王丸を偲び植えたもので、一重と八重が混じって咲く美しい桜で、江戸三名桜に数えられました。江戸時代には竹千代(德川家光)の教育役の青山伯耆守忠俊と乳母の春日局が三代将軍就任を当神社に祈願し、その願いが成就したのは大神の神慮によることと、現在の社殿及び神門(渋谷区指定文化財)を寄進されました。時代は変わりましたが現在も青山・渋谷の氏神様として数多の崇敬を集めております。
徳は孤ならず
必ず隣あり
徳(とく)は孤(こ)ならず必(かなら)ず隣(となり)あり
『論語』「子曰、徳不レ孤必有レ隣」による。
徳のある者は孤立することがなく、理解し助力する人が必ず現れる。
代官山駅付近の早咲きの桜だが、太陽の光が花に反射してとてもきれいだった。