国分寺市内藤で「戸倉新田」を探索しているとき、坂を下りたら、国立市になっていた。
少し国立市を探索した後、国分寺市へ戻ろうとしたときに、見つけたものである。
怪我の功名みたいなものだった。
発見日 2022年3月25日
発見場所 東京都国立市東1丁目
東京都北多摩郡国立町時代のものだ。
歴史
1868年(明治元年)
韮山県設置。上谷保村、下谷保村、青柳村、石田村が所属する。まもなく石田村が神奈川県へ編入。
1871年(明治4年)
上谷保村、下谷保村、青柳村、が神奈川県へ編入。
1875年(明治8年)
上谷保村、下谷保村が合併し、谷保村に。
1889年(明治22年)
谷保(やぼ)村、青柳村、石田村飛地が合併し「谷保村」に。
神奈川県北多摩郡谷保村
1893年(明治28年)
神奈川県から東京府へ移管。
東京府北多摩郡谷保村
1943年(昭和18年)に東京都制がしかれるが、それに伴い1942年(昭和17年)、東区、中区、1943年(昭和18年)、「大字国立」とすることを決め、昭和19年「大字国立」が誕生した。
東京都北多摩郡谷保村(大字:谷保、青柳、石田、国立)
1951年(昭和26年)
谷保村が町制施行。駅名から町名をとって「国立町」となる。
東京都北多摩郡国立町
新町名:東、北、富士見台
1954年(昭和29年)12月10日
府中市本宿はけの下、四ッ谷大道北が国立東区地域へ大字以下は同名で編入された。
1967年(昭和42年)1月1日
市制施行。
新町名:中、西、泉、矢川、青柳
1968年(昭和43年)10月1日
東区地域の字名が全部廃止され新しい町名番地になった。
東1丁目~4丁目。
「中区」、「西区」も見つかるだろうか?
それにしても「区」を付けたのは、どのような理由だったのだろうか?
上の方が切り取られた「国立町水道課」
古い家屋に設置されていた。
左の2段目の家屋調査済証に「國立町」、右の4段目に「国立町水道課」と刻印されている。