前回の記事が300記事目だった。
ということで今回は301記事目となる。
しばらく東京都の23区外の多摩地区のものの紹介が続いた。
今回は久しぶりの埼玉県の記事となる。
埼玉県のストックもかなりあるのだが、ほとんど紹介できていない。
いつになるかわからないが、徐々に紹介していく予定である。
この日(2022年3月26日)は「五黄の寅年」「天赦日」「一粒万倍日」「寅の日」が重なる今年の最強開運日とも言われている。
(1)今年は36年に1度の五黄の寅年。特に金運が上がる年と言われている。
(2)風水で金運が上がる一粒万倍日。何かを始めるのにピッタリな「1が10,000倍に大きく膨れ上がる吉日」。
(3)天赦日で、年に5~6回ほどあり、特に一粒万倍日と重なる日は最強・最高の開運日と言われている。
(4)十二支の寅(とら)にあたる日で、12日ごとに巡ってくる吉日のことをいう。虎の模様は黄金色にシマ模様で【金運の象徴】と言われている。寅の日とは吉日の中でも最も金運に円がある日で、「金運招来日」と言われている。
娘に言われて思い出した。
宝くじを買おうと思ったが、忘れてしまった。
暖かい日だったが、南風がとても強い日だった。
彼岸は明けてしまったが、妻と娘とで義母のお墓参りに行ってきた。
その後、2020年11月に開業した「ところざわサクラタウン」「角川武蔵野ミュージアム」を訪問した。
少し離れた所にランチを予約していたので、滞在時間はわずか15分程度だった。
2階のエントランスホールにはいろいろなアート作品が展示されていた。
米谷健+ジュリア作「ウルトラブッダ」
以前はガラスケースに入れられ、5体あったようだが、3体の黄金のウルトラブッダが展示されていた。
奈良美智作「PEACE HEAD」
大小島真木作『綻びの螺旋』
2020年、世界に結界が張り巡らされた。
到来した災禍から身を守るために、私たちはその結界のうちに引き籠ろうとした。
束の間の孤絶、その先で再び元の世界を取り戻せるはずだった。
しかし、その期待は裏切られた。
張り巡らされた結界は完全ではなかった。
綻んでいた。
ほつれた縫い目、蟲食いの穴からは、無情にも災禍の風が吹き入り、結局、今もなお私たちはその業風に取り巻かれている。
そして、繕っても生じてしまう結界の綻びを、性懲りもなく縫い合わせ続けている。
呪われし綻び。
憎たらしき綻び。
しかし、私たちに孤絶を禁ずるその綻びは、一方で、私たちを孤絶から救いだす糸口でもあったはずだ。
もしもこの壁が、この窓が、この皮膚が、この膜が、完全に閉ざされた結界なのだったとしたら、と想像してみる。
私はたちまち窒息してしまい、おそらく一瞬だって生きていくことはできない。
私だけじゃない。
あらゆる命がそこでは死に絶えてしまうに違いない。
綻びのために私たちは孤絶しえない。
綻びのために私とあなたは無関係ではいられない。
祝福されし綻び。
悦ばしき綻び。
私たちに死をもたらす綻びは、同時に私たちの生の条件でもあるのだ。
天岩戸のように堅牢で重厚な外観をもつ角川武蔵野ミュージアム。
外界から隔たれ、清潔さの行き届いたこの空間にさえ、目には見えないだけで無数の生命が蠢いている。
それらを運ぶのは私たちかもしれない。
私たち自身もまた動く綻びなのかもしれない。
もし、綻びから吹き入る風に傷ついたなら、結界を張り直すより前に、まずはその傷口にそっと手をかざしたいと思う。
誰も孤絶していない。
その綻びを綴じることはできない。
会田誠作「疫病退散アマビエ図」
入口にいる「一つ目小僧」
筆をなめなめしながら入場者をチェックしている。
大江戸もののけ物語で使われたそうだが、なぜこんなものが置いてあるんだ?
道で出会ったら超怖いんですけど。
普段はランチはしないのであるが、妻と娘がいたので、ランチをともにする。
三芳町にある「OIMO cafe 上富」は以前に2回ほど来たことがあるのだが、満席や休みで入ることができなかった。
このような苦い経験があったので、今回は事前に予約した。
13時に予約していたのだが、予約客ですでに行列であった。
自分が頼んだのは、「むさし野自然農場の大根パガパオ」だった。
妻と娘は、「OIMOcafeのパンポットお芋のビーフシチュー」とデザートに「スイートポテト」と「お芋のクリームブリュレ」だった。
美味しくいただいたのだが、問題は値段だった。
「むさし野自然農場の大根パガパオ」は1,600円、「OIMOcafeのパンポットお芋のビーフシチュー」は1,800円。
デザードセットは+500円。
東京ならわかるが、三芳町でこの価格。
ドリンク付きだが、かなりの強気の価格だ。
両脇にいたお客は、デザートと飲み物だけを注文していた。
デザート目当てのお客が多いのかも知れない。
店を出てから妻と娘はビーフシチューがほとんど入っていなかったと言っていた。
いくら人気の店だとしても、コストパフォーマンスを考えるとランチでは再訪することはないだろう。
妻と娘とは「ららぽーと富士見」で別れた。
また、前置きが長くなってしまった。
ここからが本番である。
ふじみ野市にある旧町名を探索すべく、歩き始めるが、富士見市から三芳町に入ってしまい、中々ふじみ野市にたどり着かない。
ふじみ野駅近くにある高層マンション「アイムふじみ野」が遠くに見えた。
どうしてこんなに離れてしまったんだ?
「アイムふじみ野」が見える方向へ向かう。
かなりタイムロスをしてしまったので、ふじみ野駅周辺だけを探索することにする。
発見日 2022年3月26日
発見場所 埼玉県ふじみ野市うれしの2丁目
歴史
1889年(明治22年)
町村制施行に伴い、福岡村、中福岡村、福岡新田、駒林村、川崎村が合併し、福岡村が新設される。
大井町・亀久保村・苗間村・鶴ヶ岡村が合併し大井村になる。
1960年(昭和35年)11月13日
町制が施行され、福岡町となる。
1966年(昭和41年)11月3日
大井村が町制施行。大井町となる。
1972年(昭和47年)4月10日
市制施行。上福岡市となる。
2005年(平成17年)10月1日
上福岡市と入間郡大井町が合併してふじみ野市となる。
大字苗間は現存しているが、一部が住居表示により苗間一丁目、うれし野、旭などになっている。
大井町時代のものがまだ残っている。
うれしの2丁目にある建設会社の前に大きな狸が置かれていた。
猫だろうか、何の動物かわからないオブジェが設置してあった。
上には駅などの方向が彫られていた。
かっこいいデザインの町名表示板。
・富士山の絵柄が記載されている
・ローマ字のフォントが明朝体のような書体