歩・探・見・感

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琺瑯町名看板&公社系看板 東村山市諏訪町1-1308

再訪し、無事を確認してきたので、紹介しよう。

 

発見日  2020年10月14日 (再訪日2022年3月28日)

発見場所 東京都東村山市諏訪町1丁目

広告主の西武中央病院は現存している。

現住所は東京都東村山市富士見町1丁目1-43。

 

東村山市では、住居表示に関する法律に基づく住居表示は実施していない。土地区画整理事業施行区域を含め、市制施行時(1964年10月1日)に13町を置き、町名地番整理により住所整理が実施されている。 

 

歴史

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行の際に、北多摩郡野口村、廻田村、大岱村、久米川村、南秋津村が合併して東村山村となった。

1942年(昭和17年)4月1日
東村山町となった

1964年(昭和39年)4月1日
東村山市となった。市制と同時に現在の各町が設置された。

 

市名の由来

「東村山」の名称は、(村設置当時)いろいろ議論されたが、桓武平氏の流れをくみ、武蔵國武士としてこの地に拠を擁した村山党、(武蔵七党の一党)の村山を地名とし、その最東端にあたるため「東」を頭に冠し「東村山」と名付けたものという。

 

地名の由来(東村山市ホームページより)

久米川宿の西側にあった村で、久しく「西宿」といわれていました。その氏神諏訪神社で、住民からは「おすわ様」と 呼ばれて親しまれていました。そうしたことから「諏訪」が そのまま町名となっています。

 

 

琺瑯町名看板が設置されている商店の壁には、塩の看板が設置されていた。
よく見かけるものだが、複数設置されているのは、珍しいのでは。

オリエントファイナンスのものは設置されているとは言えないかもしれない。