事前にストリービューで確認しようとしたが、細い路地の奥にあるようで、その道には入れず、確認できなかったので、現地調査に向かった。
路地がある辺りに近づくが、工事の囲いやトラックが見えたので、ここなのか?もう解体されてしまったのか?と思ってしまった。
ストリートビューの最新の情報は2020年11月と古く、路地の入口の両側にまだ建物があったが、左側は解体中、右側が更地と一変していた。
路地には残骸を運ぶトラックが止まっていたので、更地から向かうことにした。
更地には工事関係者がいて、「危ないので入らないでください。」と言われると思ったが、言われなかった。
設置されていると思われる場所に近づくと、あった!
こんなところ、よく見つけたなと最初の発見者の方、すごい!
発見日 2022年4月2日
発見場所 東京都中野区中野4丁目
歴史
1931年(昭和6年)
行政地名の変更を実施し、囲町が成立。
1966年(昭和41年)
住居表示実施により、中野4丁目になる。囲町は消滅。
地名の由来
五代将軍「犬公方」綱吉により発せられた「生類憐みの令」に基づいて捨て犬を保護するため、この地に巨大な柵を設けた保護施設が作られたことによる。
中野四季の森公園 いまとむかし
広大な武蔵野台地であったこのあたりを最初に使用したのは、「生類憐れみの令 」で有名な第五代将軍徳川綱吉 が設けた幕府の野犬保護施設である犬屋敷でした。この屋敷はお囲い御用屋敷とも呼ばれ、中野四丁目あたりの旧町名「囲町 」はこれに由来します。この犬屋敷の敷地は現在のJR中央線をはさんで約30万坪(100ヘクタール)におよび、5つの犬囲いが設けられ、最盛期には約10万頭を収容・飼育していました。元禄8年(1695年)末に収容を開始して、宝永6年(1709年)に配しされるまで15年間存続しました。その後、第八代将軍吉宗 の時代にはお囲い跡の一部に桃が植えられ、花を楽しむ江戸市民で賑わったと言われています。
囲町の名称が残っているものを探してみた。
囲町町会
中野区立囲町ひろば
囲町ひろばに咲いていた花
平成24年4月1日から供用開始された。
かつて警察学校等があった中野四丁目地区の開発により生まれた公園。開発前は北の道路や建物群と一緒の敷地だった。
中野駅北口すぐ、区役所前に7匹の犬の像がある。
5匹しかいないように見えるが、真ん中の犬に子犬が2匹いる。
かこい
この付近一帯は、徳川五代将軍綱吉の時代(元禄八年=1695年)に作られた、『犬屋敷』があったところです。
この辺りは、「中野囲町東地区第一種市街地再開発事業」が計画されている。
◆ 所在地-東京都中野区中野四丁目内
◆ 階数-(A敷地)地上24階、地下2階、(B敷地)地上20階、地下1階
◆ 高さ-(A敷地)GL+100m、(B敷地)GL+90m
◆ 地区面積-約20,000㎡
◆ 建築面積-約8,860㎡
◆ 延床面積-(施設全体)約121,100㎡、(A敷地)約90,600㎡、(B敷地)約30,500㎡
◆ 用途-(A敷地)共同住宅、オフィス、店舗等、(B敷地)共同住宅
◆ 総戸数-約720戸(A敷地とB敷地の合計)
◆ 建築主-囲町東地区市街地再開発組合(参加組合員 三井不動産レジデンシャル、三井不動産)
◆ 事業推進コンサルタント-佐藤総合計画
◆ 権利変換計画認可-2021年度予定
◆ 着工-2022年秋頃予定
◆ 竣工-2025年年度予定
◆ 総事業費-約665億円
残っている住宅は多くないが、残っている方は、大変そうだ。
この電力プレートが設置されているアパートの横に、酒屋がある。
立地条件がいいとは言えない場所に何故酒屋があるんだ?
調べてみたところ、昭和35年(1960年)頃まで4代目が練炭や豆炭などを売る炭屋「永世屋」を営み、現在は5代目が酒屋「永世屋かさい商店」を営業しているそうだ。
ここには江戸時代に掘られた井戸があるらしい。
これは道沿いに設置されているもので違うが、奥にあるそうだ。
設置されている立札には『江戸時代元禄八年(1695)〜宝永六年(1709)五代将軍徳川綱吉の生類憐れみの令により造られた犬小屋(1600●●)で集められた犬(●万●)に飲ませる為に掘られた現存する井戸のひとつである。』(●=判読不明)と記してあるそうだ。
この井戸はブラタモリでタモリが訪れ、紹介したこともあるそうだ。
生類憐れみの令で江戸市中に溢れた野犬を収容して飼育する場所に中野が選ばれた最大の理由に良質な井戸水が湧いていたことが上げられるそうだ。
この貴重な井戸も再開発の波にのまれてしまうのだろうか?