昨日(2022年4月4日)は風雨とも強かった。
しかし、雨にも負けず、風にも負けず、寒さにも負けず、びしょぬれになりながら、探索してきた。
家を出た時はそれほどでもなかった。
この日は池袋駅から探索を開始したのだが、風雨が少し強くなってきた。
少し無謀ではあったが、引き返すわけにはいかない。
探索好きが高じるとこうなってしまう。
出川に「お前は馬鹿か」と言われてしまいそうだ。
決して真似をしないでほしい。
いきなり新宿区で見つけたものに飛ぶが、気にしないでほしい。
このタイトルだけを見ると、新発見かと思われる方がいるかもしれない。
これはイージーモードのものだ。
イージーモードとは、一般的に神社仏閣にあるものを指す。
知らんけど。
筑土八幡神社を訪問した理由は、有名な庚申塔があったからであるが、偶然、こんな旧町名を見つけた。
発見日 2022年4月4日
発見場所 東京都新宿区筑土八幡町
これは筑土八幡神社の神輿庫に設置されていたものだ。
神輿ではなくこのようなものに目が行くのは、旧町名マニアだけであろう。
歴史
牛込白銀町
起立の年など詳細は不明。一説には慶長年間(1596~1615)の江戸城修築の際、田安(現千代田区)の住人を移して町を開いたともいう(町名誌)。町内の東側のあたりは、かつて和泉屋という酒屋があったことから和泉屋横丁と呼ばれていた(町方書上)
明治4年(1871)6月、常陸松岡藩中山家(水戸藩付家老)上屋敷ほか近隣の武家地と合併(市史稿市街篇53)。
1911(明治44)年
「牛込」が省略され白銀町となる。
1943(昭和18)年7月1日
東京都牛込区に所属。
1947(昭和22)年3月15日
東京都新宿区に所属。
1988年(昭和63年)2月15日
住居表示の実施により、白銀町の大部分と、神楽坂五丁目の一部、東五軒町(道路のみ)、赤城元町(道路のみ)、神楽坂六丁目(道路のみ)の各一部を併せて、現行の「白銀町」とした。なお、12〜18番地、25・26番地は住居表示未実施である。
神輿庫
右側の黒い漆塗りの神輿は、延宝6年(1678年)に、当時の氏子崇敬者が御神徳に報謝して作成したもので、戦前から昭和48年までの渡御(とぎょ)に用いられました。
左側の白木の神輿は、鉄製の飾り網、支え棒のついた重厚で堅牢な作りで、慶應2年(1866年)に制作されたものです。昭和52年に修理されて、その後の渡御に用いられています。
これらのお神輿が戦災を乗り越え残ったということは奇跡的なことだ。