風雨に悩まされた日(2022年4月4日)だったが、不忍通りから薬罐坂 (やかんざか)を登りきったところにある商店で「高田老松町」のたばこ販売店の琺瑯看板を発見したので、以前発見した小石川區時代のものと合わせて紹介しよう。
その前に、
坂の途中に説明板があったらしい。
雨の日だったからか、見逃したようだ。
以前訪問した時も気が付かなかったのか。と自問自答。
覚えは・・・ない。
「江戸時代、坂の東側は松平出羽守の広い下屋敷であったが、維新後上地され国の所有となった。現在の筑波大学付属盲学校一帯にあたる。 また、西側には広い矢場があった。 当時は大名屋敷と矢場に挟まれた寂しい所であったと思われる。
やかん坂のやかんとは、野猂とも射犴とも書く。 犬や狐のことをいう。 野犬や狐の出るような寂しい坂道であったのであろう。 また、薬罐のような化け物が転がり出た、とのうわさから、薬罐坂と呼んだ。 夜寒坂のおこりは、この地が「夜さむの里道」と、風雅な呼び方もされていたことによる。
この坂を挟んで、東西に大町桂月(1869~1965、評論家・随筆家)と、窪田空穂(1877~1967、歌人・国文学者)が住んでいた。
この道を行きつつみやる谷こえて蒼くけぶる護国寺の屋根 (窪田空穂) 」
①小石川區高田老松町
発見日 2021年3月6日
発見場所 東京都文京区目白台2丁目
約1年ぶりに再訪問した。
②東京都文京区高田老松町
発見日 2022年4月4日
発見場所 東京都文京区目白台2丁目
現役の商店に設置されていた。
旧町名案内
明治5年、高田四ツ谷町の内と高田四ツ谷下町を併せ、更に旧土井能登守(越前大野藩・6万石)、小笠原信濃守(播磨安志藩・1万石)、細川越中守(肥後熊本藩・54万石)の下屋敷と武家地を合併した。そして、町名を高田老松町とした。
旧高田老松町76番地の細川邸の門前に昔2株の老松があり、鶴亀松といった。左手の松は見上げるように高くて鶴の松といい、右手の松はやや低く平なのを亀の松と呼んだ。
町名は、この縁起のよい老松からとったといわれる。鶴の方は明治38年頃枯れ、亀の松は昭和8年頃枯れた。
老松は細川邸に存在した松に由来するという。気になるのは高田という地名である。昭和21年の地図をみれば隣に高田豊川町がある。さらに豊島区側には高田本町。高田南町あり。本町は現在の鬼子母神あたりである。現在でもやや区域は異なるが高田という地名あり。高田小学校、中学校もある。そしておそらくだが高田馬場もカンケイあるのだろう。〔参考:サイト「南浦地名研究所」より〕
歴史
1889(明治22)年5月1日
東京府東京市小石川区に所属。飛地は北豊島郡高田村の大字となる(高田老松町)。
1891(明治24)年3月
高田村字神明下耕地の一部を合併。
1943(昭和18)年7月1日
東京都小石川区に所属。
1947(昭和22)年3月15日
東京都文京区に所属。
1967(昭和42)年1月1日
住居表示の実施により、目白台一~三丁目に編入となり消滅。
高田老松町の掲示板
全国の「老松町」
「老松町」という町名は全国で以下の10町ほどあるようだ。
神奈川県横浜市西区老松町
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入された町です。昭和19年4月1日の西区新設に伴い、中区から編入されました。古くは久良岐郡(くらきぐん)戸部村に属し、明治9年2月に町並みが整ったことから町名を付けました。『横浜市町名沿革誌』によると、この地には老松が多く景勝の地であったことから佳名を採って町名にしたといいます。中央をを京急本線の野毛山トンネルが通り、北東側を横浜駅根岸道路が通っています。町内に野毛山公園、野毛山動物園、横浜市長公舎(歴史的建造物)、横浜市中央図書館があります。野毛山は、老松の繁る景勝の地として明治中期頃から生糸貿易商などの邸宅がおかれた。関東大震災後に、原善三郎(亀屋)・茂木惣兵衛(野沢屋)の邸宅跡を市が購入し、大正15年に野毛山公園として整備しました。その後、昭和26年に野毛山動物公園が開園しました。横浜の開港をいち早く江戸幕府へ訴えた開明派として知られる佐久間象山(しょうざん)の顕彰碑(けんしょうひ)が、開港百周年を記念して、ここ野毛山公園内に建立されています。
「横浜の町名」(横浜市市民局)より
神奈川県平塚市老松町
岐阜県岐阜市老松町
愛知県豊橋市老松町
愛知県津島市老松町
京都府京都市上京区老松町
大阪府堺市老松町
兵庫県西宮市老松町
岡山県倉敷市老松町
福岡県北九州市門司区老松町
文京区の「高田老松町」の他に、台東区には「浅草老松町(現 浅草鳥越付近)」があった。