奈良市の町名について調べていたところ、変わった町名を発見したので、訪問してみようと思い、どこに存在していたのか調査したところ、ストリートビューで場所を特定できたので、訪問してきた。
発見日 2022年4月9日
どこにあるかわかるだろうか?
何が?
左下の方に何か倒れているが見えるだろうか?
倒れていたものはこれだ。
側溝に倒れていた。
側面に(皇)紀元二千六百十年とある。
紀元二千六百十年は昭和25年だ。
戦前の物かと思ったが、戦後に作られたものだった。
横だと読みにくいので、縦で撮ってみた。
重くて動かせないから、放置されているのだろうか?
ストリートビューの一番古い画像は2011年3月だったが、もうこのような状態になっていた。
もともとはどこにあったのだろう?
この場所に立っていたのだろうか?
奈良町風土記より
古老の話によると、この辺りに火葬場(あるいはろうや説)があって、長い間荒廃のままであった。近鉄の奈良への乗り入れなどがあって、この辺りが急速に住宅化してきた。荒廃していたこの地を奈良の財界人十人がプラス株式会社(十の符号は英語でプラスという)を結成し、ここを住宅化した。この住宅化により芝辻町の発展にもプラスになり、十人組の名を残すためにも意義があるというので、芝辻プラス町と名付けたという。第二次世界大戦のあった時、英語追放のあおりをくって芝辻旭町と改称されたが、戦後、旧名に復活した。
以前は芝辻プラス町住宅案内図、芝辻プラス町の消火器、錆びた町名表示板があったらしいのだが、消滅してしまったようだ。
近くに「芝辻中町」の仁丹町名表示板があったらしいのだが、訪問した時は、調査不足で、探索対象からはずれていた。
帰ってから調べていたところ、訪問したところのすぐそばにあった。
訪問していれば、見つけられたはずなのに、残念。
町内にあった看板建築
結構凝った造りになっている。
戦前に建てられたものだろうか?
町内にあったアパートの表札
このプラスは「芝辻プラス町」から採ったものだろうか?