奈良市にも京都市と同様様々な種類の町名表示板があった。 既に仁丹の町名表示板は紹介しているが、それ以外に発見した町名表示板を紹介しよう。
発見日は2022年4月7日から2022年4月9日である。
①ナンバーくん住所プレート
奈良市でもナンバーくん住所プレートが健在だった。
昔、元興寺の一院である勝南院があったところから勝南院町となったとされている。 この町にある住吉神社前に古井戸があり、そこから潮波が湧き出したところから「汐浪井」と呼ばれるようになり、そこから勝南院というように変わったという説もある。
南城戸町?
南城戸町周辺には「城戸」を名乗る地名が他に2か所ある(東城戸・西城戸)、この地名については、春日大社の神鹿を保護するための門が設けられていたことに由来するとも、立派な城門があったとも、当て字の問題であるともされ、いくつかの説があるようだ。
不審ヶ辻子町(ふしがづしちょう)
「不審」は「ふしん」と読むのかと思った。
貞享4年に鬼遠山の鬼神を捕まえようとしたがこの土地で姿を見失ったのを辻占が、不審が辻といったところからきている。
不審ヶ辻子という名前は江戸時代につけられてから変わっていない。東は大乗院門跡で西の袋小路であり古くは、西隣の鶴福院領内であったとされ、 能役者や大名役人衆の宿泊所を提供する宿割町とだったとされている。
発見したものの広告主はすべて高島屋だった。
高島屋は奈良市にもあったのだろうか?
やはり錆がひどく読めないのもある。
②一家揃って参拝 御霊神社へ
「御霊神社」は「ごりょうじんじゃ」と読む。
神社がこのような町名表示板を製作したのは宣伝のためなのだろうか?
それぞれ少し位置がずれているので、1枚1枚手書きなのだろう。
木に白いペンキを塗って、黒のペンキで書いていったのだろうか?
昔、元興寺の一院である勝南院があったところから勝南院町となったとされている。 この町にある住吉神社前に古井戸があり、そこから潮波が湧き出したところから「汐浪井」と呼ばれるようになり、そこから勝南院というように変わったという説もある。
芝突抜町(しばつきぬけちょう)
住所プレートの上に設置されていた。
芝突抜町の住所プレートも見たかったな。
突抜町は奈良市にもあった。
芝はもと元興寺境内で荒廃して芝原となっていたのに由来し、東側の鵲町に街路を開いたので突抜町といったといわれている。
陰陽町(いんようちょう)
時を司り、暦を作っていた陰陽師たちが住んでいたところからつけられた。
浄言寺町(じょうごんじちょう)?
横向きになっている
③東芝リンクストア
奈良市脇戸町
元興寺の小門にあたるためという説と元興寺僧坊南室の腋戸に近いためという説がある。また、鎧師の脇戸氏が住んでいたためとも言われている。
奈良市北半田東町
奈良市南魚屋北町
「南」と「北」が一つの町名の中に入っている。
昔、元興寺の一院である勝南院があったところから勝南院町となったとされている。 この町にある住吉神社前に古井戸があり、そこから潮波が湧き出したところから「汐浪井」と呼ばれるようになり、そこから勝南院というように変わったという説もある。
奈良市鵲町(かささぎちょう )
もとは元興寺の境内で、講堂三面僧房等の旧跡であったことにちなむ。
奈良市花園町
かつて元興寺に供えるための花園があったといわれているため。
④住所プレート1
このタイプのものは元興寺町でしか見かけなかった。
⑤住所プレート2
芝辻仲町
マジックの手書き文字のようだ。
まだ奈良市の一部しか探索していないので、これだけしか発見することができなかったが、また訪問することがあったら、仁丹の町名表示板のコンプリートくらいはしてみたい。残り数枚だから、可能であろう。