歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 足立区四ツ家町

この住所プレートの目撃情報が上がったのが今年の2022年1月だった。
その後、2回のローラー作戦で弘道1丁目、2丁目、青井2丁目をくまなく探したつもりだったが、撃沈。
そのうち他の目撃者の方が現れた。
ぐずぐずしているうちに先を越された・・・。
しかし、競争ではないので、気にすることではない。

そして今回第3回目(たぶん)の挑戦を試みた。
弘道1丁目に絞り、ローラー作成を開始する。
以前怪しいと思った建物や路地をもう少し踏み込んで探索する。
そして、地図に歩いた道を書き込んでいく。
見つからない。
想定していた道は全部歩いたはずなのに。

見つからないのかなあ、出直してこようかと思ったところ、
ふと左を見る。
地図にはない細い路地があった。
ダメもとで入ってみた。
あった!
こんなところにあった!

写真を撮っていると、前方にこの建物に入る男性の姿が見えた。
不審者と思われないかと思ったが、気が付かれなかったようだ。
こんなバラックみたいな建物に、住んでいる人がいるんだと驚く。
まっ、よくあることだが。

では、発見したものを見ていただこう。
第一発見者ではないので、偉そうなことは言えないが。

 

発見日  2022年4月23日

発見場所 東京都足立区弘道1丁目

 

葉っぱが邪魔でよく見えない。

 

左手で葉っぱをどかしながら、右手で写真を撮るのだが、スマホのケースが邪魔でなかなかうまく撮れない。ハサミで葉っぱを切ってしまいたい衝動にかられたが、ハサミは常備していないので、苦労しながら撮る。

下部に広告主と思われるものが記載されている。

右側に「青木○○○」、中央に大きく「青木○」、左側に「足立区千住末広町」と記載されているように読める。

この記事は「四ツ家町」がメインだが「千住末広町」も旧町名だ。
1965 年の住居表示により現在は足立3・4、梅田7になっている。

 

交差点

四ツ家じゃなくて四家になっている。

バス停

 

四ツ家稲荷神社

所在地 東京都足立区青井2-15-14

 

歴史

1889年(明治22年
市制・町村制が施行される。
南足立郡綾瀬村次郎左衛門新田。

1932年(昭和7年
東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。
東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。
3町7村の区域をもって足立区が新設された。
四ツ家町。

1966年(昭和41年)
住居表示により弘道1・2、青井1〜4となり、四ツ家町は消滅。

 

地名の由来

四ツ家は、鶴飼・市川・両高橋の4家を「草分四ツ家」といい、それが地名になったということらしい。

 

雑学
四ツ家交差点から現在の区立第11中学校前を通り大谷田へ向かう道は、戦車道と言われ日立亀有工場で製造された戦車が走れるコンクリート道路だった。

五反野駅より四ツ家交差点方向に道海道を歩いていくと、三ツ家堀と呼ばれた堀が、道の左側に流れていた。そして四ツ家交差点のすぐ手前に大きな木が立っていた。
この木は、昭和30年代に三ツ家堀が暗渠化され道幅が広げられ車の通る道になったときに道の真ん中になってしまうため切り倒されてしまった。

四ツ家(現青井二丁目付近)では雑煮を正月に食べると火事になると言われ、現在も旧家で守り続けている習慣がある。この習慣は先祖がこの地にたどり着いたのが年末年始に当たったため餅の準備が出来なかったので、その先祖の苦労を忘れない為、という考え方が戒めとして伝わってきたといわれている。